2021.08.20

倉谷滋のお勧め<まとめ第1弾>

倉谷滋先生お勧めのクラッシック論文を紹介します。

1. Keynes, R. J. & Stern, C. D. (1984). Segmentation in the vertebrate nervous system. Nature 310, 786–789.
実験発生学のスピリットで、脊椎動物のボディプラン形成に肉薄した論文 他にも同様のクラッシック論文は多いけれど、この1本が蹴散らしてしまった感が・・・

2. Kastschenko, N. (1887). Das Schlundspaltengebiet des Hühnchens. Arch. Anat. Physiol. Archives of Anatomy and Physiology 1887, 258-300.
1951年の HHステージ論文とは異なり、ニワトリ胚(種として頭部、咽頭領域)をまるでサメ胚を扱うように解剖した論文。が、ニワトリ胚頭部の形態発生に関して、これを超える記載はまだなされたことはない。挑戦する価値あり。

3. Detwiler, S. R. (1934). An experimental study of spinal nerve segmentation in Amblystoma with reference to the plurisegmental contribution to the brachial plexus. Journal of Experimental Zoology 67, 395-441.
これも古典。神経堤細胞が脊髄神経節を作ることがまだ常識となっていなかった時代、この論文の弱点を考えるのは良い訓練になる。分節的パターニングについての先駆的研究。これなくしてKeynes & Stern (1984)もありえない。

4. Presley, R. & Steel, F. L. D. (1976). On the homology of the alisphenoid. Journal of Anatomy 121, 441–459.
比較発生学のお手本のような論文。非常に勉強になる論文。オススメ。

5. Presley, R. & Steel, F. L. D. (1978). The pterygoid and ectopterygoid in mammals. Anatomy and Embryology 154, 95–110 (1978).
これも比較発生学のお手本のような論文。だが、多少趣味的。

6. Depew, M. J., Lufkin, T. & Rubenstein, J. L. (2002). Specification of Jaw Subdivisions by Dlx Genes. Science 298, 381-385.
Dlxコードの発見を報告した論文。これによって咽頭間葉の位置価がデカルト座標の上で特異化されていると考えられるようになった。

7. Schneider, R. A. & Helms, J. A. (2003). The Cellular and Molecular Origins of Beak Morphology. Science 299, 565-568.
発生システムのモジュラリティについての論文だというと一般化しすぎか。動物種特異的な形態進化が、神経堤細胞系譜に刻印されていることを示した論文。実験発生学の極致。

8. Schneider, R. A. (1999). Neural Crest Can Form Cartilages Normally Derived from Mesoderm during Development of the Avian Head Skeleton. Developmental Biology 208, 441-455.
形態学的相同性と細胞系譜が常には一致しないことを示した、きわめて重要な論文。このコンセプトは、von Baerの「胚葉説」にまで遡る。

9. Romer, A. S. (1972). The Vertebrate as a Dual Animal — Somatic and Visceral. Evolutionary Biology 6, 121-156.
この論文はいまでは誤りだということが分かっている。が、なぜこれが有名だったのか本当に理解されているだろうか。必読!

10. Arendt, D. & Nübler-Jung, K. (1994). Inversion of dorsoventral axis? Nature 371, 26.
脊椎動物と節足動物のボディプランが互いに背腹反転の関係にあることを示した短報。ある意味、エヴォデヴォの本格的な議論はここから始まったと言えるのかもしれない。



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2021.07.20

おすすめの教科書・書籍1〜5

発生生物学および関連分野の知識を学ぶのにおすすめの教科書を紹介します。

1. Scott F. Gilbert 「ギルバート発生生物学」
発生を一から学ぶには、発生分野の最新情報を日本語で分かりやすく解説している本書がベストです!(太田訓正) 

2. Thomas W. Sadler 「ラングマン人体発生学」
人体がどうやってできてきるのか、発生の時系列に沿って解説されているのでイメージしやすい!先天異常や分子発生学的知見も交えて発生学を学べます。(入江直樹)

3. Toby A. Appel 「アカデミー論争・革命前後のパリを揺がせたナチュラリストたち」
動物の形は全動物に共通する原型を変形させるだけですべて説明できる?それとも機能的決められている?未来の科学を知る私達でも答えるのが難しい古典論争。いろいろと考えさせてくれる。(入江直樹)

4. ① Herman J. C. Berendsen 「データ・誤差解析の基礎」
 ② John R. Taylor 「計測における誤差解析入門」
どちらも誤差解析の標準的な入門書です。データに含まれる誤差の分類や伝搬などを取り扱っています。(杉村薫

5. 砂川重信 「エネルギーの物理学」
対話形式で物理学のエッセンスを解説。第1章と第2章は数式が少なめで、発生生物学研究者にも読みやすいです。(杉村薫


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2021.05.19

発生生物学会誌に見る日本発生生物学会の設立

2017年に学会長であった上野直人さんが発生生物学会の第50回大会の大会長を務められた。その大会では、法人化へ向けた本格的な議論がされた。上野さんは、50回大会を機に年長の会員にインタビューして第一回大会の様子を調べられていた。私は、幹事長として発生生物学会の50年の歴史を資料からたどった。その際に大変参考になったのがインフォメーションサーキューラーであった。インフォメーションサーキュラーの第55号に立教大の織田秀実さんが、発生生物学会の設立総会を振り返る記事を投稿されており、その記事の中に発生生物学会の発起人の趣意書が記載されていた。一方で発生生物学会としての正式な記録は、当時の学会誌であった発生生物学会誌第22号(旧名が実験形態学誌であり、号数は引き継がれた)にみられる。保管されている図書館は少なく、本号は荒木功人さんにお願いして岩手大学の図書館から入手することができた。日本発生生物学会第1回大会要旨、日本発生生物学会設立記念講演会要旨、学会設立までの経緯に加え、日本発生生物学会会則が収められている。
基礎生物学研究所・藤森俊彦
2021.04.20

海外だより№9 眞昌寛さん(University of Massachusetts Medical School)

Department of Molecular, Cell and Cancer Biology
University of Massachusetts Medical School
Worcester, MA 01605 USA
Assistant Professor
眞 昌寛
月日が過ぎるのは早いものでアメリカに留学して12年が経ちました。J1、H1Bビザを経て4年前に永住権(グリーンカード)を取得、現在私はアシスタント・プロフェッサーとして血管・リンパ管発生の研究をしています。私生活では小さいながら4年前に家を購入し、妻と息子2人+犬1匹で奮闘しながら子育てと研究の日々を送っています。嫁も得意な英語を生かして日本の企業と関わり合いのある現地の会社にフルタイムで就職し、徐々にではありますが生活の基盤が形成されてきています。歳が近い子供がいる同世代の日本人の家族の知り合いも多く、春から秋にかけて毎週土曜日の午後は近くの公園で日本人小学生を相手にサッカーのコーチをして運動不足を解消しています。2年前からは腰痛や偏頭痛を解消するため、子供達の運動量についていくために週30kmを目標にランニングを続けています。特にコロナ禍ではトレッドミルのあるジムが閉鎖してしまいましたがマイナス10度にも落ち込む真冬でもロードランを欠かしませんでした。
   この12年間に起きた身近な研究のブレークスルーは何と言っても遺伝子編集とシークエンス技術です。私は留学当初からゼブラフィッシュを用いた遺伝子編集に注目しその応用技術を発展させてきました。その結果、250年の間、硬骨魚類で無いとされてきたリンパ弁を発見し、その形態形成が哺乳類のリンパ弁と分子的に保存されていることを突き止めました(DOI: 10.1016/j.devcel.2019.08.019)。現在、Cre/loxPを用いた効率的なコンディショナルノックアウト・ゼブラフィッシュの作成法を確立しています。さらに遺伝子編集したゼブラフィッシュとシングルセル・シークエンス技術を併用したトランスクリプトームとオープンクロマチン解析を行い、組織特異的な新規遺伝子マーカーの発見とリンパ弁発生に関わる遺伝子制御解析を目指しています。
   ザックリとしたプロフィールはさておき、この投稿では海外での研究生活に興味のある方、またこれから海外留学を志す方をメインに興味があるであろうと思われる以下4項目を形式張らずに経験と記憶に基づいて書いていきたいと思います。

海外の研究室に目を向けた理由
2008年ポスドク3年目、神戸・理研である程度成果を残した後、「何かもっと自分がワクワクすること、それが他の人から注目を集める仕事がしたい!」漠然とそんなことを思っていました。それを考えると日本だけでは収まりきれないので次の仕事はアメリカでやろうと決めました。私は発生生物学を専攻し、ニワトリ胚を使って器官発生を研究していましたがマウスの実験アプローチと比べ、当時のニワトリ胚を用いた実験技術に限界を感じていました。「何か別の脊椎動物で遺伝学とこれまでに無い技術を使って生命現象を明らかにしたい!」これらのキーワードを考えながら論文を読んでいると、なになに!Zincフィンガー・エンドヌクレアーゼ(第1世代遺伝子編集ツール、ちなみにCas9は第3世代)を使って好きな遺伝子を脊椎動物であるゼブラフィッシュで簡単にノックアウトできる!!ニワトリは胚では無論この逆遺伝学を用いた手法は使えず、マウスでもこんな容易に遺伝子をノックアウトできる手法は確立されていませんでした。当時この手法を使いこなせる研究者は世界に10人もいないだろうと思いました。これだっ!!!と意を決しました。
理研内部の先輩方から情報収集し、初年度の給料を確保しておくとアメリカの研究室に入り込みやすいことを知りました。その年に投稿していた論文があったこともあり運よく1年間の海外留学助成金(上原記念生命科学財団)を獲得できマサチューセッツ州立、University of Massachusetts Medical School(以下UMASS)にあるゼブラフィッシュの若手血管形成研究で有名なNathan Lawson研究室に留学することが決まりました。後に2年間の海外学振も獲得できました。実際、アメリカでは技術と経験に乏しい博士課程の学生にも研究費から給料が払われているので給料を持って日本の有能なポスドクがアメリカの研究室で働きたいと言われたらPI (Principal Investigator:ラボヘッド)は喉から手が出るほど欲しいでしょう。特に、マサチューセッツでは血管研究が盛んでネームバリューもあるハーバード大学、MIT、ボストン総合病院、ボストン小児病院の方に優秀なポスドクが集中してしまいます。
町・大学
   UMASSキャンパスはアメリカ東海岸の北に位置するレッドソックスやマラソンで有名な港町ボストンから西に約100km離れたウースターという町の郊外にあります(ウースターソースと同じ)。私も最近知ったのですがステッカーでお馴染みのニコちゃんマークはここウースターが発祥だそうです。“Worcester”と綴りヨーロッパ人や西海岸に住むアメリカ人からしても言いづらく、ウーチェスターやらウォーセスターと発音する人もいます。日本と同じように四季があり、期間は短いですが春には桜が咲き、夏は日差しが強くカラッと晴れ、秋にはカシやナラ類の木の紅葉を見ることができます。そのぶん冬は長く(私の感覚では11月〜3月)、特に2月〜3月にはスノーストームが頻繁に街を襲い学校施設が休校になることもあります。ボストンの人口は69万人、人口19万人のウースターはマサチューセッツ州の中で2番目に大きな都市です。ボストンからウースターへは州の東西を貫く高速道路がありボストンへ行くにも車なら1時間弱、電車なら1時間半と交通アクセスは問題ありません。私が住んでいるところはウースターから3つ隣の町、車で15分かかります。朝6時に起床し、子供たちを起こし朝食を準備、四人分のランチを作り、子供たちがスクールバス乗り込んだのを見送って大学に行きます。

ラボ環境・研究
   ウースターにあるUMASSキャンパスは南北に細長く伸びる湖の西岸にあり研究棟、医学部生が授業を行う施設、外来病棟、大学病院がコンパクトに集まった外周約1.5kmの小さなキャンパスです。Lawson研究室はキャンパス内の西南に位置する基礎研究棟の6階に研究室を構えています。現在、研究室には私を含めポスドクが2人、テクニシャンが3人、学生が1人在籍して少数精鋭で研究を進めています。複数のプロジェクトをポスドクが開拓し、その下でテクニシャンが実験をサポートします。研究費申請に追われていないときはボス自ら、実験を行い次の研究費申請に向けて準備をします。日本の研究とは異なり研究費の切れ目が研究室の存続に影響し、テニュアを取ったNathanのようなPI(Principal Investigator;つまり研究室のボス)であっても研究の規模を維持・拡大するためには次の研究テーマになりそうな現象や仮説を血眼になりながら次々に模索・発展していかなければなりません。
   例えば日本の科研費基盤研究Aに相当するR01研究申請が通ると4年間で2億円弱の研究資金援助が政府から受けられるようになります(約3万人の申請者があり採択率は約20%以下)。PIは毎提案ごとに創造性と新規性が高く実行可能な研究を提案し、資金を得られない期間が無いようにこの研究資金援助を定年まで繰り返すのです。この資金が得られないとポスドクを解雇し、学生も受け入れなくなり研究を縮小することになります。そのため、継続してR01を得られることがラボを運営していける証でありテニュア(終身雇用資格)が得られる第一条件になります。
   PIとしてラボを19年間牽引しているNathan Lawsonの研究室には小規模なラボであっても潤沢な研究費があり、ゼブラフィッシュを飼育するタンク約3000個以上を収容できる飼育スペースとそれを管理するUMASSスタッフ、最先端のゼブラフィッシュ研究をするための2光子・共焦点レーザー顕微鏡やシングルセル・シークエンス用の10x Chromium controllerがあります。また、同じ部署に三人のバイオインフォマティシャンが常駐してシークエンス解析を相談・依頼できるので非常に心強いです。
    UMASSの特徴は基礎生物、応用生物、生物工学、化学、薬学、医学など様々な分野の“最先端で活躍する強者の研究者達”がコンパクトなキャンパスに集まっているので、1研究室ではできない事でも共同研究する事で迅速でダイナミックかつ質の高い成果が生まれます。事実、ゼブラフィッシュを用いて私が行なった遺伝子編集のパイロット実験から得られた結果をもとに仮説を立て、UMASS内で遺伝子工学、生化学、発生生物学の研究室が頻繁にディスカッションしながら研究が進んでいます(論文投稿中、DOI: 10.1101/354480)。その共同研究者の中には2006年にRNA干渉でノーベル生理学医学賞を受賞したCraig Mello氏もいて実験データのことについて彼が度々Lawson研究室を訪れて話し合ったりする、そんなことがUMASSで日常茶飯事に起きています。
キャリアパスについて 
   アメリカで研究しながら生活を続けることに不安はありますが、アカデミックにおけるキャリパスの選択肢は日本よりも数多くチャンスも多く、またそれに見合った対価が得られると感じています。バイオ企業においても積極的に経験豊富なポスドクを高収入で雇う傾向があると感じています。ボストン市内や周辺にはバイオベンチャーが乱立しているので生物系の求人を沢山見かけます。ボストンでは毎年大規模なキャリアフォーラムが開催されます。フォーラムには日本バイオ関連企業がいくつも参加しており、どの企業も海外での活躍を期待しているのでおのずと海外留学経験のある日本で博士をとったポスドクが高い頻度で採用されると聞きました。
   メジャーなアカデミック・キャリアパスとしてはテニュアトラック制のアシスタント・プロフェッサー(独立研究ポジション)がありますが一つの公募におおよそ300人の申し込みがあるそうです。この公募を勝ち取るためには、一流雑誌(CNS)に最低1〜2本論文を持っている事、将来の研究課題に独自性と発展性がある事に加えプレゼンテーション力が秀でている事が必要だと身をもって感じました。さらに言うとアメリカで外部資金獲得経験があるとさらに確率が上がります。かく言う私も計27通テニュアトラック制のアシスタント・プロフェッサーに応募し、2箇所面接に挑みましたがオファーをいただけませんでした。
  ここからかなり正直に書きます(賛否両論あるでしょうかご了承ください)。テニュアの審査(終身雇用になるかどうかの審査)は8〜10年の間に行われるのが一般的です。もしテニュアトラック制のアシスタント・プロフェッサーに就くと8〜10年の間に少なくともR01を2回継続して獲る必要があります。テニュアの取得率は約30%で残りの70%のアシスタント・プロフェッサーはおおよそ資金獲得に失敗して職を追われてしまいます。勿論、資金調達だけ審査の全てではありませんがアメリカではいかに研究費を継続して獲得できるかが研究を続ける上で最重要になります。
   早く独立して自分の研究室を持ち独自の研究を残りの人生に費やすのが理想的なのは理解していますが私の考えは少し違います。今現在の安全なポジションでR01研究費を獲得する術を徹底的に学び、その研究費を持ってテニュアトラック制のアシスタント・プロフェッサーに応募する方が採択率も上がるし、テニュアトラックポジションについた後も効率よく研究費が申請できリスクが少ないと私は考えました。
   そこで先ずR01申請ができる肩書きを得られるようにPIにネゴシエーションしていき、ポスドクからインストラクターになりました。そして2年前にこれまでの業績とこれからの研究の発展性を評価してもらいPIとしてR01申請ができるリサーチアシスタントプロフェッサー(非テニュア制)になりました。肩書きが変わると給料も上がるので私のネゴシエーションするタイミングはいつも論文が出た直後にします。プロモーションが成功するには1)業績、2)発展性があり独自の研究がある、3)研究の方向性が似ているが双方にとって利益になること、4)PIの研究資金調達能力が優れていること、5)PIとの信頼関係が成り立っていること、以上5点を留学中に構築していくのが重要になってくると思います。

終わりに
   以上長々と書きました。同世代の研究者と比べるとキャリアパスに関してかなり足踏みしている感じはあります。こんな研究生活を続けて大丈夫なんだろうか?食いっぱぐれないだろうか?と言う焦りは常にありますが、なんだかんだ毎日がワクワク新鮮で研究室に行って実験の結果を見るのが楽しいです。これからは更に自分で開拓したリンパ弁の研究領域を最新技術とアイデアで更に掘り下げ、いろんな分野の研究者と出会い新しい発見をしていくのでもっともっと研究がワクワクドキドキ楽しくなるのではないでしょうか?そのためにもこの数年で研究費を確実に取る必要があります。
   アメリカ留学すると決めた時に漠然と思い描いてきた青写真(注:下線)は、まさに上述した通り、これまでの10年間身をもって実感し続けてきたことだと再認識しています。海外で研究することを選んで本当に良かったし、日々生きているという実感が湧きます。この調子で私が研究を仕事として心底楽しんでいる姿を少しでも長く息子たちに見せ続けられればいいなぁ、「パパの仕事ってクール!」って思ってくれたらいいなぁと頑張っています。今後は日本の研究者と強いコネクションを形成し国際的な共同研究を活発に行い、ゼブラフィッシュを使ったリンパ管の研究を日本で認知してもらえるように活動していきたいと思います。

追伸
   最新のCRISPR技術開発を行っている研究室の隣に位置するLawson研究室はゼブラフィッシュを用いた遺伝子編集技術に長けており、その技術を習得しようとする日本からの短期留学生を受け入れています。ゼブラフィッシュの遺伝子編集に興味はあるけど長期留学に不安がある方など、短期留学に興味がありましたら私かまたは彼に直接連絡してみるのもよいと思います。更にゼブラフィッシュと最先端の遺伝子編集技術にドップリ浸かって血管奇形病理モデルを研究してみたいと考えている熱意と実績のあるポスドクまたは学生がいましたら現在ジョブポストがオープンしています(https://www.umassmed.edu/lawson-lab/postdoc-position/)。
2021.01.29

海外だより№8 水本公大さん(ブリティッシュコロンビア大学)

水本公大(ブリティッシュコロンビア大学)

はじめまして、ブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia: UBC)で研究室を主宰しています水本公大と申します。線虫を使ってシナプスのパターン形成や神経発生に関与しているシグナル経路の研究を研究しています。日本発生生物学会の会員ではないのですが、海外で研究をすることについての個人的な経験を書く機会をいただきました。アメリカやヨーロッパの大学、研究所に比べるとカナダの大学の情報というのは比較的限られていると思うので、宣伝もかねてカナダ、バンクーバーでの研究生活を紹介したいと思います。
研究

私は神戸大学で植物遺伝学を学んだ後に、当時神戸理化学研究所にあった澤斉先生(現国立遺伝学研究所教授)の研究室に博士課程の学生として参加し、線虫遺伝学を学びました。学位取得後にスタンフォード大学のKang Shen研究室にポスドク研究員として参加し、そこで線虫の神経発生分野に足を踏み入れました。博士課程、ポスドクの両方とも、自分のアイデアを自由に試させてもらえる恵まれた環境でした。2015年にUBCで独立し、現在は神経同士がどのような細胞間コミュニケーションを行い、シナプスを形成する場所を決定しているのかについて研究を行っています。また、博士課程のころから研究しているWntシグナル経路についても、神経発生におけるその機能について研究を続けています。最近は神経細胞がシナプスを作らないための分子機構について特に注目して研究しています。
UBCとバンクーバーについて

UBCはカナダ西海岸側の最大都市であるバンクーバーにある公立大学です。トロント大学、マギル大学と並ぶカナダトップ校の一つで、学部生4万5千人、大学院生1万人以上が在籍する巨大大学です。キャンパスは海に面しており、バンクーバー国際空港からは車で20分くらい、バスと電車で45分くらいの便利な所にあります。自然に囲まれたキャンパスではハクトウワシやコヨーテを見かけることもあります。バンクーバーはカナダの中では温暖な都市で、雪が積もることも1月から3月の間に数回あるかどうか程度です。ただし冬が雨季なので、11月から3月くらいは雪にならない程度の冷たい雨が続きます。一方で夏は非常に快適で、晴天が続き、湿度も低く、気温も25℃以上になることはめったにありません。カリフォルニアにいたころは夏のカリフォルニアは最高だと思っていましたが、バンクーバーの夏のほうがはるかに快適です。緯度が高いため、冬は日照時間が短く、4時過ぎには暗くなる一方で、夏は朝4時くらいから夜10時くらいまで明るく、夕食後に外で遊んだり、大学内にあるビーチに夕日を見に行くこともできます。
バンクーバーは都会である一方で自然も多く、ハイキングやスキーに適した山にダウンタウンから30分で行くことができます。またアメリカ国境も近く、休日に車でシアトルまで買い物に出かけることも比較的簡単にできます。
また、バンクーバーは国際性が非常に豊かで、アジアから近いこともあり、アジア人にはとても住みやすい都市です。薬物問題や高騰する地価など問題はありますが、過去6年間で自分が外国人であることに由来する怖い、あるいは不快な思いをしたことは生活面においては今のところありません。アパートの騒音関係とか日本でもよくあるような細かなことのほうが生活のクオリティに対する直接的な影響が大きいような気がします。
バンクーバーには日本食レストランも豊富にあり、日本のメジャーな日用雑貨屋さんや洋服屋さんもあります。また、地ビール工場もたくさんあるので、ビール好きにはたまらないと思います。日本のボタンエビの近縁種であるスポットプラウンの産地としても有名で、漁期の5月―6月くらいは、魚屋さんの生簀はエビでいっぱいになります。漁から戻ったばかりの漁師さんからとれたてのエビを直接購入することもできます。
UBCでの学生、ポスドク生活

アメリカやヨーロッパの多くの大学と同様に、UBCの大学院生にはお給料が出ます。フェローシップを獲得すると最低給与基準額から上乗せされることが多いです。大学院プログラムによっては奨学金獲得者に対して最低上乗せ額を設定しているところもありますが、基本的には受け入れ教官との話し合いで決定されることが多いようです。ポスドク研究員の場合は特に給与基準がないので、大学院生よりもボスとの話し合いが重要になります。日本人はフェローシップを持ってくることが多く、またあまりネゴシエーションをしないのでお得意様扱いを受けますが、お金の話は臆せずにきっちりしたほうがいいと思います。住居に関してですが、大学院生の場合、大学の寮に入ることができます。ポスドクはスタッフ扱いとなるので大学内にあるファカルティ、スタッフ専用のアパートに住むこともできます。大学内にはスーパー、病院、歯医者、保育所-高校までそろっており、特に大学から出なくても不自由なく生活することができます。また大学内に讃岐スタイルのうどん屋さんもあり、さらに最近二軒ラーメン屋さんが出来たのも日本人的にはうれしいところです(2020年現在)。UBCはダウンタウンからバスで30分くらいのところにあるので、都会生活を好む人たちはダウンタウンに住んでバスや自転車で大学に通っています。家賃が高いため、単身の学生、ポスドクはルームシェアをしていることが多いようです。
アメリカとカナダの大学院制度の大きな違いは修士課程の存在でしょうか。カナダの大学は日本と同じように修士課程(2年)と博士課程(3-5年)に分かれている大学院プログラムが多数派です。ただし、指導教官との合意のもとで直接博士課程の学生として受け入れることもできます。修士から博士へのトランスファーも複数の方法があって、いったん修士課程を修了(修士論文を書いてdefenseを行う)したうえで博士課程に入る方法と、修士課程の間にcomprehensive exam(博士課程の研究プロポーザルの審査と口頭試問)を受け、博士課程に移行する方法があます。どちらの方法にも一長一短があり、学生さんの意向を聞いたうえで、その学生さんにとって適切だと思う方法でトランスファーを行います。
また、日本の大学院と同様にUBC、そしてカナダの大学院プログラムの多くはローテーションシステム(大学院1年目に複数の研究室に所属して希望研究室を決める制度)を採用しておらず、研究室に直接配属されます。そのため、大学院応募の際には希望研究室に事前にコンタクトをとって、その研究室に大学院生を受け入れるスペースとお金があるかを確認しておくことが大切になります。ネットで拾ってきたテンプレートのようなメールは良い印象を与えないので、CVやその他必要な情報はすべて添付したうえで、コピペではない自分の言葉で熱意を伝えることを強くお勧めします。また、なるべく早い時期にコンタクトを取られることをお勧めします。日本と異なり、大学院生一人を受け入れるためには実験にかかるお金とお給料をあわせて年間数万ドル(数百万円)の研究費が必要になりますので、いくらその研究室に参加したくても、また私たちがいくら学生さんを受け入れたくてもお金がなければどうしようもありません。12月上旬のアプリケーション締め切り直前に例年多数の問い合わせメールが来ますが、研究費はいきなり準備できるものではないので、あらかじめ大学院生を採用する予定であった場合を除き、受け入れられる可能性はあまり高くありません。
これらのことは逆に言えば、大学院生を受け入れるかどうかは、研究費を含め、研究室主催者の裁量に任されているということです。ですので、受け入れ研究室から内諾をあらかじめもらっておけば、最低合格基準(学部成績、非英語圏からの応募者の場合は英語能力)さえ満たしていれば、問題なく希望研究室に参加できるはずです。奨学金を獲得していると上記の研究費のハードルが下がる、あるいはなくなるので研究室選びの幅も一気に広がります。また、いわゆる入試というものは存在せず、基本的に書類審査のみで合否が決定されます。大学は9月に新学年が始まりますが、大学院生は基本的にいつからでも始められます。私の研究室の学生さんたちも、それぞれ開始時期は1月、5月、9月とばらばらです。大学や大学院プログラムによって詳細は異なりますので、各大学院プログラムのホームページご確認ください。「大学名+graduate program」で検索をかければ簡単に見つかります。
小心者だから海外で独立

こちらで独立していることもあって、よく日本の方から「なぜ日本に帰らなかったのか」と聞かれますが、単純に日本に職がなかったからです。決して選り好みをしたわけではなく、いろいろと応募したのですが、自分の実力不足のため箸にも棒にも引っ掛かりませんでした。じゃあ「日本に帰りたかったのか」と言われると、わからないというのが今の正直な気持ちです。帰りたくなかったといえば嘘になりますが、小心者の自分には30代後半、40代を単年契約の任期付きポスドク、特任助教として生きていく勇気と自信はありませんでした。海外で独立というとなんだかチャレンジしているような印象があるかもしれませんが、私の場合はむしろ逆で、身分の安定と充分な研究環境を求めた結果、今のポジションに行きつきました。今後ずっとここにいるのか、また別のところに行くのかはわかりませんが、少なくともテニュア職と充分な研究環境、そして正当な評価基準を用意したうえでのテニュアトラックポジションであるということは、自分にとって独立した後にここで一生懸命頑張るための大きなモチベーションになっていたことは間違いありません。
日本でのコネクションは大切に

個人的には身内、知り合いを採用する人事には反対ですし、将来なくなればいいと思っています。とはいえすぐに変わるとも思えない就職問題は人生を左右する大きな問題です。私は幸運に幸運が重なって自分の研究室を構えることができました。だからといってこれから海外大学院やポスドクを考えている人に「自分と同じようにきっとうまくいくよ」とは口が裂けても言えません。スタンフォード時代の研究室の同僚は全員私よりはるかに優秀だったのですが、タイミングが合わなかった、あるいは研究がたまたま期待していた方向に進まなかったために希望する職に就けなかった人たちがたくさんいました。ですので、海外に出るときに自分のように完全に退路を断ってしまうのはあまりにリスクが高すぎると感じます。実際、スタンフォード大学にいた日本人研究者で日本に戻られた方の多くは、元指導教官や知り合いから声をかけられて職を見つけている人たちが多数派で、いわゆるガチ公募で日本での教員職を得た人はごく少数しか知りません。知り合いのつてで職を見つけるというのが日本でのメジャーな就職方法だとすれば、当然ながら公募でのポジションの数はそれだけ限られるということになります。日本に帰ることを必須条件にしている人は日本にいるころから強いコネクションを維持していくことが大切なようです。
海外のコネクションも大切に

では北米ではコネクションは必要ないのかといわれるとそんなことはありません。トップ研究者の引き抜きは公募を経ずに行われることが多く、またそれを阻止するためにカウンターオファーを出したりすることは日常茶飯事です。その過程で候補者の配偶者になんらかのポジションを用意する(spousal hire)こともよくあり、オフサイクルで突然学科から「新しいファカルティ候補と会ってくれないか」と言われることもあります(これらコネクション人事とは通常考えませんが)。ただし、公募情報が公示されているアシスタントプロフェッサーポジションの場合は、ほとんどの場合、公正な選考がなされていると思います。何度かテニュアトラックポジションの採用プロセスに携わったので、その経験をシェアしたいと思います。ちなみに採用に関するガイドラインは大学によって厳密に規定されており、大学のホームページで公開されています。また、以下に記載することはあくまで私の所属する学科での採用プロセスになりますが、北米の多くの大学は多少の違いはあれ、似たような採用プロセスになっており、こちらでファカルティポジションを得ようと思っている人たちの間では常識とされているものです。私が所属する理学部動物学科の場合、教員採用のSearch committeeは職位、性別、人種に配慮された5人で構成され、その5人ですべてのアプリケーション(通常150-250くらい)を審査し、面接に呼ぶ5-6人のショートリストを作成します。ショートリストには候補者の能力、学科との適合性、そしてcommitteeの意向が強く反映され、総応募者を反映する男女比になるようにも配慮されます。面接は2日間にわたって行われ、候補者はセミナー、チョークトークの合間に15-20人のファカルティと面談を行います。Search committeeは面接後、候補者のセミナーを聞いた人たちからのフィードバックも参考にして、候補者のランキングを作成します。そして選考過程を教授会で説明し、教授会の了承を得たうえで上位からオファーを出していき、上位に断られたら次の候補者にオファーを出します。ただし、面接の結果次第では「上位2人に断られたら来年再公募」とか「今年は採用なし」という結論になることもあるので、面接に呼ばれたからと言って上位が辞退すれば必ず次点の候補者に順番が回ってくるというわけではありません。生命医学系の候補者にチョークトークを軽く見て失敗する事例がしばしばみられます。チョークトークでは今後の研究展望のほか、ボード(黒板)を使ったプレゼン能力(≒講義能力)を審査します。UBCは公立大学ですので、教育を軽視している、教育能力に問題がと判断されるとその時点で不採用になります。学部教育は研究者として時間の無駄だと思う方は研究所に絞って就職活動をされることをお勧めします。かくいう私もポスドク時代は若干そういう考えがあったのですが、こちらで学部教育に深く携わるようになって、改めて教育の重要さ、特にアカデミアに残らない大多数の学部生へ基礎科学への理解を深めてもらう事を強く意識するようになりました。特に世界中でコロナウイルスが蔓延している今、一般社会の科学に対する理解の重要さを感じられている方も多いのではないでしょうか。また、学部生からの容赦ない授業評価は、プレゼン能力の改善とメンタルを鍛えるという面においても大いに役に立っています。
さて選考の話に戻って、上記の選考過程でどこにコネクションの力が入り込むのでしょうか。身内からの応募は相当のメリットがない限り、不利に働くことがほとんどです。その一方で、応募者が「誰からどのくらい強く推薦されているか」という形でコネクションが存在します。分野を牽引する研究者からの強い推薦文はショートリストに残るための非常に強力な武器になります。面接時には応募者本人の資質のみを審査するので、推薦文の影響力はほぼなくなりますが、1つのポジションに数百人が応募して、その中から5人程度しか面接に呼ばれないことを考えると、論文リストや履歴書からは測りにくい候補者の資質をしたためた強力な推薦文は大きな助けになります。こちらの場合、通常推薦文は3-4通(学生時代の指導教官、ポスドク時代の指導教官と、あともう1,2人)用意します。指導教官からの強い推薦文は大前提として、なるべく偉い先生に自分の研究を知ってもらっておくことも大切になります。ちなみにテニュアや昇進の際に共著論文や共同研究歴のない人たちからの推薦文が必要になるので、たくさんの研究者と良好な関係を築くことは独立してからも大切になります。
日本でのアカデミア職の閉塞感からか、日本でポスドク、特任助教をしている方から海外の大学に応募しようと思うがどうだろう、と相談を受けることが増えてきました。可能性としてはもちろんあると思いますが、北米からの応募者と比較して不利になりえる点がいくつかあります。まず英語です。非英語圏からの応募者の場合、応募者の英語能力が図りにくく、懸念材料としてネガティブに働きます。また、現在日本で特任助教をされている方は、肩書がassistant professorとなるので、実際の職務にかかわらず研究費獲得歴、コレスポ論文の有無、学部生、大学院生の教育歴を審査されることになるので、ポスドクの応募者よりもハードルが上がる印象があります。もしもポスドクとほぼ同義のポジションである場合はその旨を履歴書に明記されたほうがいいと思います。さらに上で述べた推薦文です。当然ながら日本でのコネクションはこちらではあまり意味を成さず、推薦文というこちらのルールに則ることになります。日本から海外独立を目指す場合、英語での講義歴などの英語能力の証明や、北米の推薦文様式を熟知している方からの推薦文を確保しておくと、面接に呼ばれる可能性が少しは上がるのではないかと思います。
おわりに

研究者のメリットは世界中どこでもできることだと思います。日本だろうと海外だろうと、精いっぱい生活と研究を楽しめる環境を見つけるために、本寄稿が少しでも参考になりましたら幸いです。おおっぴらに書けないこともたくさんありますし、ここで書いたことは私の限られた体験に基づくものですので、あくまで参考程度にしていただけたらと思います。とりあえず私は現在、コロナが終わったら日本に行ってコンビニのおにぎりとプリンを食べることを楽しみにしています。250円で幸せを感じられるのも海外生活のいいところかもしれませんよ。
2020.12.21

海外だより№7 中村哲也さん (Rutgers the State University of New Jersey)

Department of Genetics, Rutgers, the State University of New Jersey
Assistant Professor, Tetsuya Nakamura
Lab website; http://nakamuralab.com
Email; nakamura@dls.rutgers.edu
Rutgers, The State University of New Jerseyで研究室を主宰している中村哲也といいます。まだまだ日本からアメリカに引っ越したばかりの気分ですが、シカゴでポスドクとして5年間働き、独立してラボを立ち上げてから3年が経ちました。私達のラボは魚の進化発生メカニズムの研究をしています。今までに、アメリカでポスドクをして独立ポジションを探した経緯は、実験医学等の他の記事に書かせて頂きましたので("ラボレポート独立編"https://www.yodosha.co.jp/jikkenigaku/book/9784758125086/index.html)、この記事では、海外で独立して研究するのは日本と何が違うのかにフォーカスして書かせて頂きたいと思います。私がまだ日本にいた頃は、時々海外でポスドクをしている先輩達から話を聞かせてもらっていたのですが、日本人でPIになって研究を進めている方の話を聞く機会は限られており、圧倒的に情報が不足していました。ですので、この記事がこれから海外で研究をする事、独立する事を視野に入れている方の参考になれば幸いです。さらに詳しい情報が必要な方は、遠慮なくメールを送って頂ければと思います。
日本からアメリカへ

  私の経歴は、海外でPIをされている他の日本人研究者の方とは少し違うかもしれません。大学院は、マウスの遺伝学で名門であった大阪大学 生命機能研究科 濱田博司先生(現理研)の研究室でお世話になりました。その後、濱田先生の研究室と情報工学科の中口悦史先生(現東京医科歯科大学)の研究室でポスドクを1年数ヶ月、そしてその後濱田先生の研究室で助教として4年間働かせて頂きました。当時の研究の興味は、哺乳類の体の左右非対称性がどのように決まるのか、というものでした。マウスの遺伝学と併せて、基礎生物学研究所の望月敦史先生(現京都大学)との共同研究で数理モデルやプログラミングの基礎も学ぶ事ができました。研究を進める中で徐々に、将来は水生動物の発生と進化の研究がしたいと思い始め、マウスの研究室の片隅で魚類や両生類も飼わせて頂き実験をしていました。また以前から、海外で研究をしてみたいという気持ちがずっとあったので、アメリカとヨーロッパの複数のラボにメールを送ってポスドクとして雇ってもらえないかを問い合わせてみました。私の場合はそれまではずっとマウスの研究を行っており、突然魚の進化発生の研究に方向転換することにしたので、魚の研究を行なっている有名な研究室からはすぐには良い返事はもらえませんでした。特に気になっていたいくつかのラボからは「フェローシップがあるなら来てもいいよ」といった感じの返事でした。そこで、フェローシップの応募を始め、幸運にも日本学術振興会の2年間の海外留学用のフェローシップでサポートして頂けることになり、アメリカのシカゴ大学のNeil Shubinさんの所にポスドクとして留学しました。後にNeilと仲良くなってから彼のメールボックスを見せてもらった事があるのですが、留学を希望する学生とポスドクから大量のメールが来ており、ほとんど返事をしていないとの事でした。ですので、もし今留学を考え始めているのであれば、早めにフェローシップの応募を始める事をお勧めします。私の場合は、その後も有難いことに複数のフェローシップと研究助成金にサポートして頂き、以前からずっとやってみたかった魚のヒレの発生進化メカニズムの研究にたっぷりと5年間、シカゴで専念する事ができました。
オファーとスタートアップ資金の交渉

 アメリカでポスドクとして働いて3~4年経つ頃には研究業績が増えていたので、アメリカとヨーロッパの色々な大学と研究機関に応募して、複数の独立ポジションのオファーをもらう事ができました。海外にポスドクとして留学すると、エキサイティングであると同時に、この先自分に仕事があるのだろうかという不安な気持ちも常に付きまとうのですが、ここまで来てやっと一息つけました。海外でのジョブハントは、application packageを送った後に、オンラインの面接、現地面接へと進みます。競争率は非常に高く、大体、一つのポジションに200人程の応募があり、その中からうまくポジションにフィットする人が選ばれます。面白いのは、オファーを複数もらうと選ばれる側から選ぶ側へと一気に立場が逆転します。実際に、オファーをもらってからどこで独立するかを決めるまでは、相手側の大学や研究機関もとても待遇良く扱ってくれます。特に、オファーをもらった後に行くセカンドインタビューでは、将来の同僚になるかもしれない教授達と美味しいディナー食べながら研究の話をできますし、大学内だけはなく周辺の街や不動産のツアーにも連れて行ってもらえます。その後それぞれの大学のfacultyと詳しく話をして、オファーの詳細を詳しく確認して、自分の行きたいところを絞っていくという順番です。そして、自分の本命の大学を絞れば、次に一番大事なスタートアップ資金の交渉が始まります。自分の本当に行きたい大学に対して、「他にもXXX大学からもすごく魅力的なオファーをもらっている。でもあなたの大学が研究環境としては一番気になっているので、もし可能であれば少しスタートアップ資金を増やしてもらえないだろうか」といった感じで交渉を進めます。大学側としては、やはり自分達が選んでオファーを出した人に来て欲しいので、できる範囲内で交渉に応じてくれます。私の場合は、いくつかの名前の知れたヨーロッパの研究機関からオファーをもらっていたので、それを武器に今実際に働いているdepartmentにスタートアップ資金を25 %ほど増やしてもらい、またパートタイムのテクニシャンもサポートにつけてもらいました。ただ、いくら自分が選ぶ立場にあるからといって、あまりに強気な交渉は避けたほうが無難かと思います。交渉している相手は、これから一緒に働く同僚になるので、やはりナイスな関係を築いておくのがベストです。
アメリカでラボを立ち上げる

  さて実際に独立すると、これは世界どこでも同じだと思いますが、空っぽの研究室とオフィスに自分が一人という所から始まります。今までは、ボスと同僚達といろいろわからない事を相談しながら研究を進めていたのですが、突然自分一人になってゼロから物事を始めるのはすごくエキサイティングであると同時に不安です。しかし、私のラボは、1年も経つ頃には、メンバーが数人に増え、3年たった今では10人になりだいぶ研究室らしくなってきました。今までの自分のキャリアでは、estabilshされたラボで同僚と研究や雑談の話をしたり、呑みに行ったりパーティーをしたりと和気あいあいと過ごしてきたので、最初は少し寂しいなという思いもありました。でも今振り返ると、ラボ立ち上げの時期にメンバー全員の3人で食事に行ったりしていたのはすごく良い思い出です。
  アメリカでラボを始めてからとにかく苦労するのは、writingのスピードも質もどちらもnative speakerの方が圧倒的に優っている事です。アメリカ人の同僚や友達と話をしていると、グラントを大急ぎで2週間で書いたなどといっている事があるのですが、これは私にはとても無理な話です。私の場合、普段は大型のグラントの申請書を2~3ヶ月かけて書き、英語の表現や文法をブラッシュアップしていきます。大体1年間に大きなグラントの申請書を3つほど、小さなグラントの申請書を2~3つ書きます。またそれと同時に自分のラボの論文も書いていくので、アメリカでPIになると日々の時間のほとんどを英語のwritingに費やす事になります。これが日本とアメリカでラボを運営する時の大きな違いではないでしょうか。アメリカ人の教授でもグラント書きにほとんどの時間を費やしている場合が多く、実験を自分でやって楽しんでいる人はそれほど多くないようです。特に私のようなスピードで申請書や論文を書いているともう大変です。私の場合は、自分のwritingの遅さを補うために、土日もずっと英語を書く生活になってしまいました。しかし、時間をかけて書けば書くほど、書く力もスピードも上がってくるので、今はとにかく文章を書きながら、その合間に実験もしながら毎日を過ごしています。このような状況ですごく忙しい事はそうなのですが、アメリカにいてすごく良いなと思うのが、会議などにほとんど時間を使わなくて良いところです。こちらはみんな、長い会議が大嫌いです。なので、月に1回の教授会も1時間半が経てば、そこで強制終了です。"後はメールで"と言って解散します。そして、実際にその後にメールが来たことは一度もありません。また若手のassistant professorに回ってくる学科内の委員会等の役は、年間を通して数時間働けば良いようなほとんどゼロに近い仕事量なので、若手の間は実質的にはサイエンスにほとんどの時間を使う事ができます。アメリカでは意図的にこのような仕組みになっており、とにかくテニュアトラックのassistant professorを研究に専念させるという目的があります。私のいるdepartmentでは、シニアのprofessor達が手間のかかる委員会を積極的に引き受けてくれており、グラントが取れラボから論文が順調に出だしたassistant professorには手間のかかる委員会の役が回ってくるという状況です。勿論、これはassistant professorに研究者として成功してもらいたいという事と、departmentとしてスタートアップ資金を援助した金額を、グラントをとって返してもらいたいという二つのゴールがあります。
  日本の大学と比べると、associate professorになった後もいわゆる大学内の"雑用"や会議は少ないと思います。これは良い意味でも悪い意味でもみんな無駄な事はしたくないし、限られた時間の中で自分の仕事に集中すると同時にプライベートの時間もきちんと取るという目的だと思います。こちらのサイエンティストは使った時間に対するproductivityと、論文を出すスピードについてはすごくシビアです。日本よりも生き残り競争が激しい環境で、限られた時間の中でいかに速く面白いデータを取るのかという意識は、アメリカとヨーロッパの多くの研究者とディスカッションをして、また共同研究をする中で学ぶことができました。
魚の進化発生メカニズムの研究

 現在、私の研究室はスタートしてから3年が経ち、やっとラボらしくなってきたなというのが本音です。始めた頃と比べると、いろいろな実験のノウハウが増えつつあり、それぞれのメンバーも経験と知識が増え始め、やっと競争力のある研究プロジェクトが立ち上がり始めたという状況です。また自分自身もラボのボスとして、研究能力以外にもmanagementやwritingなどの力をつけるのに時間がかかります。私達のラボの研究テーマは、魚の鰭の進化発生メカニズムです。私はシカゴ大学でポスドクを行っていた時に、Hox13遺伝子が魚のヒレの鰭条の発生に重要である事を遺伝子ノックアウトゼブラフィッシュを使って見つけました。マウスではHox13は、手首と指を形成するのに重要であることから、おそらく、魚の鰭が私たちの手に進化したのは、Hox13の機能が変化したことが原因ではないかと考えています。また、他のプロジェクトとして、魚の中でのヒレの多様性の進化メカニズムにも興味を持っています。エイのヒレの進化メカニズムを解析するためにエイのゲノムコンソーシアムと共同研究を行っていたり、シクリッドを用いてヒレの進化の原因遺伝子の特定を進めています。発生生物学を勉強されている皆様ならご存知の通り、脊椎動物の個体を使ったgeneticsとgenomicsのプロジェクトにはどうしても3?4年の時間がかかってしまいますので、ラボの立ち上げの時期に中々結果が見えてこないのはこの先どうなるのかという思いもあります。しかしながら、遺伝子組み換えを行い、個体で表現形がはっきりと見えた時の喜びはかけがえのないものです。これから先数年かけて、私達が撒いた種が大きく成長してくれる事を祈って毎日研究を進めています。
グラントと審査プロセス

さて、アメリカで独立すると一番頭が痛い問題がグラントの獲得です。日本と違って、こちらではグラントが獲得できなければ、研究室として生き残るのは不可能です。グラントの採択率も他の国と比べると随分低いです。分野によっても多少違いますが、確か発生生物は7%ぐらいだったと思います。ですので、こちらでは有名教授もグラント書きに必死です。また、グラント獲得の競争が激しいのは研究の方向性にも大きく影響します。日本にいた頃は、基礎研究を行うにあたって、比較的自由にテーマを選んで自由気ままに研究をさせてもらっていました。しかし、こちらの多くのラボは、グラントを獲得できそうな競争力のあるプロジェクトにラボのメンバーの力を集約して、チーム一丸となって研究を進めるところが多いと思います。同時に、PIは各メンバーのproductivityの事をすごく気にします。このシステムの良い点は、ラボのメインのプロジェクトに集中して研究をするので、ラボのメンバー間でもうまくフィードバックが回って非常にproductiveです。悪い点としては、単純に興味だけで始まる将来どうなるかよくわからない研究プロジェクトに浅く広く投資するのは難しいという点が挙げられます。ですので私がポスドクの頃は、ボスの研究室のメインのプロジェクトを重点的に進めて、夜や週末に暇な時間を見つけては自分で獲得した少額のグラントでサイドプロジェクトを行っていました。アメリカでは研究室のメインのプロジェクトできちんと成果を出していると、サイドプロジェクトについては自由にさせてくれるところが多いのではないかと思います。
 グラントの審査過程ですが、これは多くの若手のassistant professorにとってはブラックボックスです。どのような申請書が高く評価され、またどのように判断されているのかもいまいちよくわかりません。この状況は日本でも似たり寄ったりではないかと思います。日本と違うのは、申請書に対してのコメントが日本よりは多く返って来るので、申請書のどこが良くて悪かったのかが少しわかりやすいところです。アメリカのグラント審査のシステムでとても良いなと思ったのは、NIHもNSFどちらもEarly Career Reviewer プログラムというものがあり、若手のassistant professorを一度だけグラントの審査会議に参加させてくれる事です。私も一度参加したのですが、これは非常に良い勉強になりました。世界トップクラスの教授陣に混ざって、グラントの申請書の審査のポイントや採点方法を観察できるまたとないチャンスです。今までずっと自分が尊敬してきた有名な教授達の申請書もたくさん読むことができるので、その人達のグラントの書き方を勉強することもできます。しかし、その反面、そのような有名教授の申請書でも容赦無く落とされているところを目の当たりにすると、アメリカのグラント獲得競争はラボを持つ限り一生続くのだなとヒシヒシと感じます。ところで、今の日本にはこのような若手の研究者をグラントの審査に参加させるシステムがあるのでしょうか?私が日本で助教だった時には聞いた事がなかったのですが、もし今でもなければぜひこのようなシステムを作ってみては如何でしょうか。若手の研究者にグラントの書き方や審査プロセスを見せるのは勿論のこと、グラント審査をある程度オープンにする事で公平な審査方法を見てもらうという意味でもすごく良いと思います。
研究環境と生活

  私の所属しているRutgers universityは、New Jersey州のNew Brunswickという小さな大学街にあります。このロケーションは研究と生活の両面にとって全く申し分のないところです。北に位置するマンハッタン まで電車で45?50分ほど、南にはプリンストン大学、さらに南に行けばNIHがあります。アメリカ国内のNortheastエリアでの小規模のミーティングはたくさんあり(Covidのせいで現在はオンラインになっています)、とにかく最新の研究や技術の情報がとても早く入ってくるので、ネットワークを広げながら研究を進めるには申し分のない場所です。その中でも特に私の研究室は、マンハッタンのAmerican Museum of Natural Historyやマサチューセッツ州のMarine Biological Laboratoryなどとコラボーレーションをしており、進化発生の研究を進めるにはとても楽しい環境です。ただ、このような恵まれたロケーションには、研究室を運営してみると別の問題が発生します。周りに世界トップレベルの研究大学が多いので (Yale, Columbia, Princeton univ.など)、学生やポスドクをリクルートするのが中々難しいのです。
   生活の面ではNew Jersey州はアジア人としてもとても過ごしやすいところです。New JerseyとNew York 州はアジア人の人口が他の州と比べて随分多いため、日系やアジアのスーパーがたくさんあります。ですので、日本食や食材等に困る事はほとんどありません。特にこの辺りは、他の州と比べるとアメリカ生まれではない移民が人口の多くを占めるので、30代で移住した外国人としても周りの人と移民の気持ちを共有できる事も多く、とても快適に過ごせて楽しいところです。一年を通して気温の変化も以前にいたシカゴほど大きくなく、冬の寒さもかなりマイルドなので(それでもマイナス15度くらいにはなったりしますが)、随分過ごしやすいです。もちろんマンハッタンに出て行けば、美術館、博物館、シアター、レストラン等、世界トップクラスのものが全て集まっているので、週末に暇ができても退屈する事はないところです。唯一残念なところは、研究者はグラント書き等が忙しくて、街中でゆっくり遊ぶ時間がなかなか取れないところでしょうか。
海外の研究文化

  この短い記事で全てを書く事は中々難しいのですが、海外で研究をして独立するというのは本当にエキサイティングな経験です。私も若手ながらに、自分自身の今までのキャリアを振り返った時に、アメリカでの研究経験なしの人生は考えられません。しかし日本に立ち寄った時に日本人の研究者の方と話すと、多くの方が海外留学にそれほど興味を持っていない事、また例え海外留学をしても日本に帰る事が前提である事がとても残念に思います。もちろん、人によってどの国で過ごすのが快適かは違いますし、ご家族の都合などいろいろな事情はあると思いますが、特にしがらみのない優秀な研究者の方はもっと海外で活躍されると良いのになと思う事があります。住み慣れた国を離れて全く違う文化の中で友達や研究者仲間を増やし、異なったサイエンスの考え方と進め方を経験してみるのは人生観を大きく変えてくれます。また、non-native speakerとして海外で研究をしてみると、下手な誤魔化しは効かず、本当に実験のアイデアと結果のみで勝負することになるので、すごくシビアな局面を経験することもよくありますが、とにかくサイエンスに集中して自分の研究能力を大きく伸ばすチャンスでもあります。
アメリカはいろんな文化で育った人が集まるので、考え方も人によって全然違う事がよくあります。細かいデータを取るよりも、scientific problemに対して最も核心をつく実験を考えるのが得意な人も多い気がします。ただ、そういう人は逆に細かいところは気にしなかったりすることもあり、国民性や文化の違いだなと思います。日本の均質的な文化で育つと最初は少し戸惑うのですが、慣れるといろんな人とディスカッションしてみて、自分に足らないものや弱点に気付いたり、競争が激しい環境でいかにうまく自分の強みを引き出せるのかなどを考える良い機会として大いに勉強になります。
また海外の研究文化としてすごく、おそらく一番大事な事が、ラボ内でもラボ外でもコミュニケーションやディスカッションを十分に行って、サイエンスを皆んなで楽しもうという考えが根底にあることです。私がアメリカに来た当初は、研究室にある実験機器は古いし、みんなずっと喋ってばかりだし、一体どうやってこんなラボからハイレベルの仕事が出て来るんだと思ったものですが、数年経つとその毎日のお喋りが研究にすごく重要な意味を持っている事がわかってきました。今では私も各メンバーと毎日雑談をする事は欠かせません。毎日ボスを含めたチームのメンバーで雑談をする中で研究の話をし、それぞれのメンバーは皆が同意した実験に絞って行うので、チームとしても1メンバーとしても方向性を間違わずに効率よく働く事ができます。また、毎日会話を通して細かな研究の軌道修正を行っているので、後々になって意思疎通の違いから仕事が無駄になるということもなく、行った実験は確実に論文になるという利点もあります。新しいアイデアも毎日の雑談から湧いてきまし、メンバーの誰かが良いデータを出せばすぐにみんなに知らせてみんなで喜びます(だから楽しいのです)。特に、チームがそれほど大きくない時は、毎日の直接のコミュニケーションのおかげで、ラボミーティングを頻繁にするという時間も省くことができ、チームの動きも非常に俊敏だと思います。今はCovid19のせいでリモートワークの割合が増えましたが、オンラインソフトのSlackなどが大活躍しています。またラボ内だけではなく、論文やグラントを書くときは、投稿前に知り合いや同僚に原稿を送って、フィードバックを貰って書き直します。このように海外では、研究能力と同じくらいにコミュニケーション能力とネットワーキングが成功する一つの重要な要素である事は間違いありません。
  最後に、海外で研究をすると見えてくるのが、医療応用に発展するかもしれないmolecular biologyだけではなく、ecologyやevolutionなども含めた基礎研究が社会の発展にとって大事であるという考えがしっかり浸透している事です(ただ、アメリカ人の半分近くは進化を信じていませんが)。勿論、社会にとって大事である医療系の研究に多額のグラントがおりるのはどこの国でも同じですが、アメリカは色々なタイプの基礎研究に幅広くグラントを与えています。特に、基礎研究ではそれぞれの研究者がユニークで優れた研究をする事が求められており、色々な異なった研究の中からグランドブレーキングな方向性が開けるというのが基本的な考え方です。私たちのグループも魚の進化発生の研究を行なっており、日本の生物研究ではあまりメジャーではない分野かもしれませんが、こちらでは魚の進化発生のラボがたくさんあり、どこのグループも非常にユニークで面白い研究を行なっています。Molecular biologyを高いレベルで行なってきた日本人の研究者の方からすると、私達の魚の進化発生の研究が何の役に立つのかと言われるかもしれませんが、私自身は自分が一番大好きな事を仕事にでき本当にエキサイティングな毎日を送っています。心から毎日の研究生活を楽しんで続けていくには、人から与えられたものではなく、自分オリジナルの大きな夢を持って興奮している事が一番大事だと思います。サイエンティストの生活はプレッシャーや不安もたくさんありますし、生物系の研究者はラボにいる時間もかなり長いのですが、これは全て研究生活が楽しい事が大前提です。海外で研究で成功している人は、徹底的に勉強した上で自分自身の研究の長期的なビジョンをしっかり持ち、サイエンスと自分の人生を上手に両立させているなと感じます。私達のラボも、いつか後から振り返った時に、進化発生生物学における大きな謎にアプローチしたのだと誇れるように今後も成長していきたいと思っています。長々と書きましたが、この記事を読んで一人でも多くの発生生物学会の若い会員の方が海外でのキャリアに興味を持ってもらえるととても嬉しく思います。
写真:ラボメンバーでのディナー風景。新しいメンバーが入ったり、論文が出た時には必ずみんなで出かけていました。Covid19が早く収束して、またみんなでディナーに行けるのをすごく楽しみにしています。
2020.10.17

海外だより№6 原田英斉さん(University Health Network )

原田英斉
University Health Network
私は、カナダのトロントにあるUniversity Health Network (UHN), Krembil Research Institute でResearch Associateとして勤務しております原田英斉と申します。

私は、東北大学大学院生命科学研究科で学位を取得しました。当時から神経系の研究をしたいと思い、in ovo エレクトロポレーションを開発者であり、脳の領域形成の研究を行っていた仲村春和先生の研究室で最初の研究を始めました。ニワトリ胚に対するin ovo electroporationは細やかな実験操作が必要なのですが、苦労して初めて自分で導入したGFPが生きている胚のなかで緑色に輝いているのを見たときの感動は、今になっても鮮明に思い出すことができます。今でも、顕微鏡を覗いていて、それが新しい発見につながりそうなとき、似たような興奮を覚えます。
海外留学のきっかけは、2010年に私の母校である東北大学の海外派遣プロジェクトに参加して、イギリスのUniversity of Dundeeにポスドクとして留学をしました。この留学の期限は3年間で一報論文を出すことができたのですが、私としては、まだ消化不良のような気がして、さらにもう一回違う海外ラボでポスドクとして働こうと考えました。そのままイギリスに滞在するのが一番手っ取り早かったのですが、もう少し海外での経験値を得たいと考えて、北米を中心にラボを探しました。幸い、トロントのDr. Philippe Monnierに採用され、現在に至ります。
私は、カナダに来てから細胞外キナーゼの研究を続けております。ラボに所属した当時、500種類以上のキナーゼが発見されていたものの細胞外で働くものはまだ同定されていませんでした。GPIアンカー型の細胞膜外分子Repulsive Guidance Molecule b (RGMb)は、構造上は細胞外の膜上に局在する予測できますが、実際には細胞内に局在しています。ところが、271番目のチロシン残基に点変異を導入すると局在が細胞内から細胞膜上に変化することがわかりました。ひょっとすると、細胞外チロシンキナーゼ が本来細胞膜上にあるRGMbをリン酸化することで、エンドサイトーシスを引き起こし局在を変化させるのではないかと考えました。キナーゼを探索する予定だったのですが、2014年にCell誌に細胞外キナーゼVLKの発見の報告 (M R. Bordoli, et. al., Cell, 2014, doi: 10.1016/j.cell.2014.06.048.)がされてしまいました。当時とても悔しい思いをしたのですが、その報告では、まだin vivoでのVLKの標的や、機能はまだ明らかにはなっていなかったので、ここを明らかにすることで新規性を出せるのではないかと思い解析したところ、RGMbは、実際に発生中の生体内でVLKのターゲットであることを突き止めました。その後時間はかかりましたが、RGMbがリン酸化されると、Wnt受容体のLRP5のエンドサイトーシスを引き起こすことで、網膜神経節細胞におけるWnt3aシグナルを制御することを明らかにました。さらに、in vivoでは、網膜神経節細胞が神経軸索を正しく中脳の標的にガイドするのに、これらWntシグナルの制御システムが正しく働くことが重要であることを明らかにしました (Harada et. al., Nature Chemical Biology, 2019, doi: 10.1038/s41589-019-0345-z.)。
この過程で、勉強になったことの一つは、実験を進める際のコラボレーションなどに動き出す速度だと思います。例えば、私のボスであるPhilippe Monnierは、Wntシグナルに関連しそうなデータが出たとき、まだ例数が1であるにもかかわらず、すでにWntシグナルの専門家にコンタクトを取り、データを見せてディスカッションしていました。自分としては、もう少し確証を得てからの方がいいのではと思っていたのですが、それよりも少しでも早く、より詳しい研究者の意見を聞いて次の方針を考えるといったことを優先することを何度も経験しました。もちろん全ての、プレリミナリーなデータが最終的に確認できない場合もあったのですが、とにかく議論を進めることが重要なようで、間違い自体はあまり気にしていないように感じました
執筆時の2020年8月現在では世界中は深刻なコロナ禍にあります。この度、このタイミングで'海外だより'を執筆させて頂く機会を頂きましたので、私の経験したコロナその中での海外研究生活がどのようなものであるかも、ご紹介したいと思います。
現時点で私の住んでいるオンタリオ州は、人口1500万人程度の規模の州ですが、毎日100名程度(検査数2万5千程度)の新規罹患者が出ている状況で、ピークは4月中旬から下旬にかけて毎日600名程度でしたので、まだまだ油断はできませんが今の所少し落ち着いて来ているように感じます。現在、屋内でのスポーツ観戦やコンサートなど以外の飲食店を含め全ての店が再開しています。大学や小中学校や高校は、小規模のクラスとオンラインの併用での再開が決定しています。
私が勤務しているKrembil Research Instituteは、左側奥の灰色のビルディングです。手前はToronto Western Hospitalです。Toronto でUniversity Health Networkを構成する病院の一つです。
私の所属しているUHNのKrembil Research Instituteは、Toronto Western Hospitalに付属している研究施設なのですが、3月中旬にResearch Staffは病院の建物への進入禁止、3月下旬の時点で研究施設の閉鎖という措置になりました。それ以降は、マウスなどの実験動物の系統の維持や、Covid-19関連の研究などこの状況下でも"必須の仕事"は許可されていたのですが、それ以外は在宅でのリモートワークという形での勤務になりました。普段の私の仕事は実験が勤務時間の大部分を占めているのですが、この時間を利用して総説の作成や新プロジェクトの下調べをするといった作業をしておりました。また、ラボメンバーで週に一回オンラインミーティングで、論文紹介や実験データの紹介などをやっていました。
その間、研究所のPIは、それぞれのこれまでの研究内容にかかわらず、Covid-19関連とこれまでの自分の研究をなんとか結びつけてこの状況下であっても研究活動を続けようと模索しているようでした。結局は、緊急に計上されたCovid関連予算を獲得できた研究室は、もともと病原性のウイルスを扱っていた研究室のみが許可されたようでした。しかしながら、どのような状況であっても研究を続けていこうとする執念は、学ばなければいけないものであると感じました。
7月初旬から研究所への立ち入りおよび実験が許可されました。研究所内感染を防ぐためにいくつかのルールが設けられました。研究所の入り口には、臨時の受付が設けてあり、オンラインで通勤前に記入した健康状態に関するスクリーニングの結果を携帯電話で提示し、新しいマスクを受け取ります。マスクは、研究所内でも着用が義務付けられています。また、研究所内では、できるだけソーシャルディスタンスを取らなければいけません。そのため、勤務時間は、2シフト制を採っていて、半分は午前7時から午後1時、もう半分は午後2時から午後8時までの勤務でオーバーラップの無いように前半と後半の間に1時間のインターバルが設けてあります。月曜日から土曜日までの週6日間の勤務で、自分の許可されている時間以外は研究所に入ることはできません。この状況で働く期限は特に設けられておらず、いつもとの状況に戻るかは今の所見通しがついておりせん。現在は、短い時間をいかに有効活用して実験を進めるかということに視点を移して研究をしています。
研究室の風景です。オープンコンセプトラボなので、近隣の研究室とインタラクションを持ちながら研究を進めることができます。我々のラボは一番奥のスペースにあります。
このように、研究所内では厳しいルールがあるため、感染の危険性を感じることはありません。街中ではこれまでは冬場でもマスクを着用している人は全く見られませんでしたが、いまではスーパーなど屋内でのマスク着用がオンタリオ州では義務になったこともあり、マスクをつけている人が多く見られるようになました。お互いに感染を増やさないような気遣いが見られるので、今の所人が集まる場所に行かなければおおむね安全であるように思います。
海外だよりの読者の方の中には、これから留学をしようと思っている方もたくさんいらっしゃると思います。これらのことが、全ての海外研究施設や国に当てはまるわけではありませんし、就労ビザの取得がなかなか難しい状況にあるとは思いますが、私の置かれている現状をお伝えすることで少しでも参考にしていだだけますと幸いです。
ラボメンバーとクリスマスパーティーにて
私が所属する研究室からの景色です。右手にCNタワーが見えます。
トロントの風景。ストリートカーがダウンタウンに張り巡らされているので、市街地の移動にとても便利です。
2020.08.28

海外だより№5 堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所)

堀沢子さん(バハ・カリフォルニア自治大学獣医科学研究所・教授)

※ステイホーム週間中にも動物の飼育、管理は休みなしです。筆者も羊の出産ラッシュに野次馬で立ち会いました。

皆さまはじめまして。私は北メキシコのバハ・カリフォルニア自治大学(州立大学に相当)に勤務しています。2000年に日本からポスドクとして理学部に赴任、医学部勤務を経て、2006年より獣医学部の分子生物学研究室において学部・大学院での教育、研究指導をしています。研究といってもテーマは主に産業動物、野生動物の感染症や人獣共通感染症の診断、予防などで、研究室というよりも検査ラボのような役割の部署です。発生生物学分野の研究は全くしておりませんので、本稿では研究テーマの詳細ではなく、メキシコに来たいきさつ、当地での生活の一端、非・先進国の辺境の田舎の大学ならではの研究の日常などをお伝えします。中南米の国々に興味のある若い研究者の方に参考になれば幸いです。(そんな物好きな人はいないと言われそうですが...)

大学時代は東京工業大学理学部の生化学講座(大島泰郎教授)の有坂文雄先生のもとでT4ファージに関する卒業研究を行い、同大生命理工学部大学院進学後は分子発生生物学講座(星元紀教授・当時)の西田宏記先生(現・大阪大学)のもとでマボヤ初期胚のNotchホモログ遺伝子の単離、発現解析のテーマで学位を取得しました。その後は同じ学部内の細胞発生生物学講座の岸本健雄先生(現・お茶の水大学)にポスドクとして採用されました。日本で所属した研究室が三か所ともすべて教授・助教授の両先生が合同で研究セミナー等で指導するスタイルでしたので、大部屋の雑多な雰囲気の中でいろいろなバックグラウンドを持つ人と同じ時間を共有できたことは貴重な財産と思っています。その経験から、今の所属先でも出身分野が近い同僚の先生(後述するメレディス、ホセ両先生の教え子)と研究室をシェアして大学院生が大部屋で交流しながら、お互い学びあうというスタイルを貫いています。アメリカとの米墨国境の町にいるという物珍しさ、興味深さもあってか、コロンビア、キューバ、ホンジュラス、ニカラグア等々の中南米諸国やアフリカからの留学生もいますし、メキシコ国内のさまざまな州からも院生受け入れ実績があります。最近は学部生への講義(免疫学、細胞生理学等)の負担が大きくてなかなか旅行する時間も取れませんが、職場が国際色、地方色豊かなので話題には事欠きません。

岸本先生の研究室でのポスドク時代にはホヤ胚発生過程での細胞周期制御について細胞生物学的なアプローチでの研究の可能性を探るべく実験を続けていました。野生生物材料の採集、飼育、メンテナンス、慣れない胚実験、解析用の抗体づくりなど一人で始めたものの、結局3年間で何も成果をあげられず契約期限切れとなってしまいました。その後は、学生時代にラテン音楽サークルに属していたこと、趣味のスペイン語に磨きをかけたかったことなどもあり、漠然と中南米の国で働く方法を探しはじめました。とにかく日本を離れたい、研究は二の次、という人間が、再びポスドクにアプライするの今思えば非常によこしまな考えで、研究プロジェクトに専念してもらいたいボスにしてみれば迷惑な話だと思います。そうはいっても学位を持っているという事実以外に社会人としてのスキルもなかったので、研究ポスドクとしてパナマ、メキシコの大学や研究所をいくつか打診したところ、給与付きでというポジティブな返事がもらえたのがバハ・カリフォルニアの大学だったというわけです。大学院時代に同じ国際学会に参加したことがあるというだけのつながりメレディス・グールド(Meredith Gould)先生(故人)が主宰する発生生物学研究室に招聘して下さり、Conacyt(日本学術振興会に相当)のフェローシップを受けることができました。ヒトデ卵の中心体の研究を始めましたが、お恥ずかしい話ですが、再び成果を出せないまま期限切れとなり、半年間は非常勤講師としてで免疫学の講義を担当しつつ実験も続けましたが、その後はホセ先生の紹介で医学部に職を得て、内陸のメヒカリ市に引っ越し、現在に至ります。岸本健雄先生からは、ときおり日本でお会いするたびに「堀さんは、研究やめますと言ってメキシコに渡ったはずなのにまだ続けてるの?」と揶揄(昔話?)されますが、当時「研究は二の次」と思っていたのは事実です。あまり強調するとメレディス先生に夢枕に立たれて叱られそうですが、自分でもまさかその後20年近くメキシコに居残り、究極のワンオペ子育てと大学勤務を両立させて、再びメキシコで逆単身赴任を続けるようになるとは想像すらしませんでした。

メレディス先生はユムシの卵成熟や受精の研究などでカリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)でテニュアまで持っていた方ですが、メキシコ人のホセ・ルイス・ステファノ(Jose Luis Stephano)先生と結婚後メキシコシティに移住、その後、古巣のUCSDに近いバハカリフォルニア州の太平洋岸の港町エンセナダに理学部教授として着任されました。研究室の壁にはアルベルト・セント=ジェルジの言葉"Research is to see what everybody else has seen and think what nobody has thought"が掲げられ、ボランティア卒研生の指導やご自身の研究に熱心に取り組まれていました。ほとんどの大学で卒業研究論文は義務ではないので、研究をしたい学生は基本ボランティア参加でした。最近は状況が違っているようですが、当時スペイン語で学位論文という言うとほぼ学士論文を指しているのを知らず、メレディス先生のラボに"博士課程"学生が何人も在籍すると勝手に勘違いしていた私は、彼らthesis studentが皆学部生だったことで物足りなさを感じましたが、すぐに皆の実験にかける熱意に驚かされました。各自が自由に納得のゆくまで考えで選んだ研究テーマを持っていたというのも大きいように思います。海産動物の発生生物学分野だけでなく、葡萄の病原ウイルス(バハはメキシコ有数のワインの産地)、ダチョウ農場向けの雌雄判定キットの作製、バイオディーゼル、ニワトリやラクダ科のリャマを使った抗体ライブラリー作成などさまざまなテーマで昼夜を問わず実験を進めていました。彼らは卒業後も大学院に所属せず居候しつづけて無給で2-3年、長い人は最長8年のケースもありました。ホセ先生は学生の住むアパートも確保していたので、学生たちが最低限の食費さえまかなえれば自由に実験を続けられる環境がありました。ラボの消耗品もほとんど両先生が自腹を切って入手したり、時には農家や一般人向けセミナーを開催して研究への寄付者を募ったり、もちろん取れるグラントは大小いくつも獲得していました。ホセ先生のモットーはメキシコ革命家のエミリアーノ・サパタがスローガンにしていた農民解放の理念「土地と自由(tierra y libertad)」、農地はそこを耕す農民のものであるべきという言葉です。転じて、洒落で強調されていたのが「ラボと自由」。大学の実験室も、名前だけの責任者、管理者に使い方を指図されるいわれはなく、そのラボで手を動かして実験をし、成果を出し、サイエンスを実践している研究者に所属するべきもの、常々言っていました。少し背景を解説しますと、彼らは着任したばかりの18年前に何もない講義室だった大教室2部屋を廃材やアメリカから払い下げの中古実験機器を元手に、手作り感あふれる立派な細胞生物学実験室として進化させ、コンフォーカル顕微鏡に、DNAシーケンサー、細胞培養室、パッチクランプ法などの電気生理実験室、RI実験区画などまで作っていたのです。にもかかわらず、大学当局からは、まだ利用できる機器を「書類上の耐用期限が過ぎている」という理由だけで処分させられたり(しかも代替品を購入してもらえるわけでもない)、週末や夜の実験をセキュリティー管理上禁止されたり、一つ一つはルールのしっかりした先進国ではあたりまえの理由かもしれませんが、現実は、学生に慕われていた両先生へのやっかみによる嫌がらせも多かったようです。

両先生の研究への情熱ぶりを表すエピソードは限りがないですが、いくつか紹介すると、ステーションワゴンの荷台に子供3人乗せて寝かせながら、夜の間に片道2時間半の道をサンプル持ってアメリカ国境を越え、UCSDにて電顕観察を行い、明け方自宅に戻って、日中は大学での業務ということも良くあったそうです。大学の長期休暇期間には夫婦で率先してUCSDやStanford大学で非常勤講師として主に実験系の講義を担当していました。給与収入を得るためでもありますが、メインの目的は講義終了後は余った試薬、消耗品を担当者が「もうこれ以上は勘弁して!」と言うまで交渉してすべて譲り受け、メキシコ側の大学にてほぼ同じ内容の実習を再現することでした。要請があれば教え子のいる遠方の大学でもどこでも駆けつけて実習を披露し、またその教え子が別の学生たちへという良い連鎖を生みます。私も学生時代には論文やビデオでしか見ることがなかったショウジョウバエの初期胚のin situハイブリダイゼーションや免疫組織染色など実習を手伝いながら実物を目にして、研究の環境が恵まれない中でもできることはたくさんある、と感激したのを覚えています。文章に起こすと大した苦労に感じられないかもしれませんが、20年後の今でも、各種インフラと予算の問題で私たちの現在のラボではそのレベルの実習を大人数の学部生向けに再現することはできませんので、やはり両先生の努力は並外れていました。
※2019年冬メヒカリにて。ウルグアイの研究者(左端)を講師に迎えて、学部生向けにダニ類同定実習を企画した際の一コマ。昔は完全な男社会だった獣医師の世界ですが、最近は獣医学部の入学者の8割を女子が占めることもあります。

先進国では学生が存分に実験をする環境を整えるためにボスがやらなければいけない一番重要なことは当然グラントを取ってくることと思いますが、ラボマネージャーもテクニシャンも居ないメキシコの田舎大学では一番大事なことはとにかく足を使って毎日ラボの内外を見て回ることです。電気、ガス、水道、通信の基盤インフラを確保し、内部、外部のコソ泥・大泥棒対策、ペストコントロール、野犬、洪水、強風対策、などなど日常のトラブル、アクシデントに対応しているだけで時間が過ぎていきます。メヒカリ市では2010年にマグニチュード7.2の地震が直撃し、建物、ラボがその後2年半ほどにわたって補修、建て替えのため使えなかったこともありました。この手の苦労話は膨大になるので詳細は省きますが、メレディス、ホセ両先生の場合は生活サイクルのすべてがラボの維持のため、研究のために回っていました。近隣の中学校、高校の生物学系実験室の設備充実のためにも労をいとわず常に走り回っていました。グラントの予算も雀の涙ほど、自腹を切っての消耗品購入も限りがあるため、UCSDのCore Facilityで期限切れの試薬やキット類を棚卸しすると声がかかれば、何をおいても駆けつけて引き取らせてもらいます。32Pで汚染された遠心機も譲りうけ冷却させて使います。お金をかけずに物を修理、再利用することに関してもメキシコ人は経験豊富です。カリフォルニアのメキシコ系ヒスパニックを指すチカーノ(chicano)という言葉がありますが、そこから派生して"チカナダ"という言葉をこちらでは良く耳にします。「チカナダした」というと「(〇〇が壊れたけど)そこら辺にあるもので代用して適当に修繕した」という意味です。これがまた悪い意味でのいいかげんな修理の場合もあれば、かなりの確率で正規品パーツに見劣りしない機能を発揮する場合もあり感心させられます。実験機器類は電子制御の基盤の修理などはさすがにできませんが、メカニカルな機構であれば何としても修理します。たまには良いハプニングもあり、エンセナダの蚤の市で偶然300ドルほどで入手したディープフリーザーが普通に動いたときは皆で歓喜したものです。去年、ラボの院生の一人がスペインの研究所に3か月ほど滞在する機会があったときにも、滞在先で最初は委縮していた彼が、いろいろチカナダを披露するうちに皆の役に立って自信が持てるようになったと話してくれました。チカナダ経験豊富な学生はラボにとって最大の戦力です。
※大学院生で獣医師のカルロス君。各種感染症を媒介するマダニの幼生の薬剤耐性試験のために、アッセイ用チャンバーを工作中。彼は蚤の市でタダ同然で最新の電子デバイスを発掘してくる名人。

獣医学部に移ってからは、私もラボの実験環境の整備のために、金銭的にもかなりの持ち出しをしつつ、体力、気力の許す限り努力してきたつもりですが、最近は教員数削減に伴う講義時間の倍増などにより、なかなか研究への時間が割けません。そんな中、亡くなったメレディス先生を偲んで隔年で開催される追悼シンポジウムに参加するために古巣のエンセナダを訪れることがモチベーション維持に欠かせないものとなっています。ホセ先生を囲んでのOB会的な意味合いもありますし、大学院生にはポスター発表を通じて獣医学部では触れることの少ない基礎生物学分野の学会の雰囲気を体験してもらう機会でもあります。2016年に大学をリタイアしたホセ先生も、リューマチの足を引きずり、ガンの手術を2度受けながらもなお気力十分、最近は人里離れた海岸の田舎町に土地を買ってプライベートの研究所を作り、一人でDunaliellaという高塩性微細藻類の研究を続けています。年齢的にもあべこべで、おかしな話ですが、会うたびにその圧倒的なハードワークに私の方が元気、やる気をもらっています。
※2019年秋、第5回メレディス先生追悼シンポジウムで生物学科の学生にひたすら熱く語り続けるホセ先生。

今年は、毎年恒例の夏休みの日本への一時帰国もかなわずに、灼熱の砂漠のメヒカリ市で最高気温が50℃にもなる暑さの中で、この原稿を書いています。新型コロナウイルスの世界的流行が落ち着いて、海外との行き来や米墨国境も以前のように自由に往来できるようになることを願っています。その際には、読者の皆さんの中でアメリカ訪問のついでにバハ・カリフォルニアに足を延ばしてみたい、という方がいらっしゃいましたらお気軽にご連絡ください。怖いもの見たさでも歓迎です。「国境の町」メヒカリで、おいしいメキシコ料理や地ビールを堪能してくださっても結構ですし、気候も穏やかな港町エンセナダにはメキシコ国立自治大学(UNAM)の研究所やConcytの高等研究所、バハ・カリフォルニア大学の海洋研究所など研究機関が集中していますので、訪問セミナー、共同研究のコーディネートなどご希望があればお手伝いいたします。

皆様におかれましてもご自愛のほど心よりお祈りしています。とりとめのない長文にお付き合い下さりありがとうございました。
ヒカリ市の米墨国境の壁。国境の検問に向かう運転中の車内から撮影。現在は新型コロナの影響で移動制限があるため以前のように日常的に国境を超えることはできない。
メレディス先生実験室の記念プレート。現在ここではOB教員が、新型コロナウイルスワクチンの開発研究を進めている(メキシコ国内の公募で採択された4件のワクチンプロジェクトの一つ
2020.03.11

海外だより№4 兼子拓也さん(フレッドハッチ癌研究所)

兼子拓也さん(フレッドハッチ癌研究所)

私は、シアトルにあります「フレッドハッチ癌研究所」というところでポスドクをしています。癌研究所の所属ですが、現在の研究内容は癌とは全く関係なく、小型魚類ゼブラフィッシュを用いて神経回路の発生過程を解析しています。シアトルでのポスドクはようやく2年目に突入したところです。シアトルに来る前は、ミシガン大学の博士課程に6年ほど在籍し、アメリカ研究生活は8年目になります。それ以前は、現JSDB会長である武田洋幸先生の研究室で、学部卒業研究および修論研究を行いました。武田先生の研究室で小型魚類を用いた発生生物学に初めて触れ、そのときの感動が、現在の研究人生の方向性を決めるきっかけとなりました。

私は、日本の修士課程在籍中に、アメリカのPh.D.プログラムに出願することを選択しました。しかし、アメリカ留学を望んだのは、研究者として成長したいというような強い意志があったからではなく、ただ単純に、海外で長く生活をしてみたかったからにすぎません。異国の地に観光以外で訪れ、文化の異なる人々と交流することが幼少期からの憧れでした。幸運にも、自分が選んだ研究者としての道のりにとって、海外で暮らすことは、決して不利に働くことでも、著しく困難なことでも無かったため、学生の気楽な身分のうちに留学経験することを決めました。出願準備のために、半年以上も修論研究を中断することになりましたが、ミシガン大学に行けることが決まり、念願であった海外生活を開始することができました。サポートしていただいた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

私が所属したミシガン大学のPh.D.プログラムでは、研究室を入学前に決めておくのではなく、1年目に複数の研究室を体験してから、2年目の初めに配属先を選択します。私がミシガン大学を志望した理由の一つは、その選択肢の多さです。生命科学系の研究室が500以上あり、その中から入学後に自由に選べます。それぞれの研究室の研究対象や実績よりも、自分が楽しんで仕事できる配属先を見つけたかったため、より多くの選択肢が与えられているプログラムに入りました。やはり、言葉の壁を抱えて渡米したため、先生やラボメンバーが自分の片言の英語にも耳を傾けてくれるか、そして英語が不自由でも自分を必要としてくれるかを、一番に重視して研究室を選びました。最終的に、Bing Ye先生の研究室に所属して、神経系の発生を研究することに決めました。Bing先生が教育熱心で、とくに密接な指導を受けられることが期待できたのも決め手となりました。

Bing Ye先生の研究室では、ショウジョウバエを用いて、発生過程の神経細胞が、どのように特定の神経細胞と結びつき神経回路を形成していくのかを解析しました。この研究トピックを選んだ理由は、組織の形成を司る細胞間コミュニケーションに以前から興味を持っていたためです。発生生物学的な視点で解析を進めていきましたが、徐々に、神経系で広く用いられる「光遺伝学」や「カルシウムイメージング」といった技術も取り入れていき、最終的に私の博士論文は神経生理学が中心の内容となりました。神経学の知識はありませんでしたが、Bing先生から手厚い指導を受け、毎日のように議論を重ねることで、神経生物学を基礎から楽しく学ぶことができました。先生からは、研究計画の方法や奨学金申請書の書き方、論文査読の仕方なども教わりました。このような指導教員からの直接的な教育は、アメリカの博士課程の大きな特徴であり、この留学体験が自分の成長に繋がったのは間違いありません。

Ph.D.プログラムで6年過ごしましたが、最後まで英語で苦労しました。学生の間は授業が頻繁で、そこでは積極的な発言が求められます。さらに、日本以上にプレゼン能力が重要視されていて、学生としても研究発表の機会が非常に多いです。2年目にはプレリミナリーエグザムと呼ばれる難しい口頭試験があり、これに合格しないと退学になってしまいます。これらの課題を一つずつこなしていくのに必死の学生生活でした。しかし、アメリカで研究を続ければ続けるほどに、言葉の違いを弱点として感じる必要がないことを実感します。面白い研究さえ続けていれば、みな興味を持って発表を聞いてくれます。研究に対するアイディアやアドバイスは、常に尊重して受け止めてもらえます。研究室が10人以下と比較的小さく、そのためミーティングでも発言しやすかったことが幸いし、同僚からも信頼を持って接してもらいました。自分を受け入れてくれる居場所を作れたことで、英語で苦労しながらも、日々楽しいと思える充実した博士課程となりました。何よりも、留学を通じてでしか出会えない人とミシガンで交流できたことが、私の人生にとって貴重な財産です。言葉の壁を抱えながらポスドクとしてアメリカに残ることを選択したのも、この博士課程の素晴らしい留学体験が主な理由です。

ポスドク先として決めたのは、シアトル・フレッドハッチ癌研究所のCecilia Moens先生の研究室です。この研究室で私は、小型魚類ゼブラフィッシュを実験対象として用いて、迷走神経が構成する反射回路の形成機構を解析することにしました。迷走神経は、脳から伸びて、咽頭部や心臓といった様々な器官に投射しており、咳や嘔吐、心拍数調整などの、機能の異なる多くの反射反応を司っています。迷走神経を構成する多種多様な神経の一つ一つが、どのように発生過程の脳内で識別され、それぞれに異なる反射回路に組み込まれていくのか。この疑問について、私がこれまでに学んだ「発生遺伝学」と「神経生理学」を組み合わせて取り組んでいます。このプロジェクトは自分の発案で始めたので、自由気ままに仕事させてもらっています。今は学生のとき以上に研究に専念できるため、これまでの研究人生の中で一番楽しいです。

ポスドク先選びは選択肢が多すぎてとても迷いました。世界中、どこへでも行きたいところに行けるのがポスドクの特権です。この特権を活かさないのは勿体無いと思い、一年ほど時間をかけてじっくり選びました。最終的にシアトルを選んだのは、西海岸の観光地に数年ほど住んでみたかったという理由も大きいです。しかし、ポスドク先選びで最も重視したのは、発言のしやすい比較的小さな研究室であること、そして、独立したプロジェクトを新規に立ち上げさせてくれる可能性の高い研究室であること、この二点です。過去にポスドクとして在籍していた人が、独立後も互いに競合することなく、それぞれ異なる研究を展開できているのかを基準にして候補を並べていきました。その中でもとくに、自分が修士課程や博士課程で学んだ経験を活かせる場所としてCecilia Moens先生の研究室を選びました。この研究室に所属してまだ一年あまりですが、自分にとって最適な場所であったと実感しています。Cecilia先生からサポートを受けながら、自由に自分のプロジェクトを展開することができ、独立してからのための良い修行になっています。また、現在は5人ほどの小さな研究室であるため、大きい研究室にありがちなポスドク同士の競争からも無縁で、お互いに助け合う居心地の良い研究生活をおくれています。何よりも、研究室内でチームの一員として認めてもらえていることが、私にとって一番幸せなことです。

海外で生活してみたいという願いだけでアメリカに来ましたが、憧れであった場所に自分の活躍できる場所を作れたことが、留学の最大の意義であったと思います。私の研究に興味を持ってくれる人、サポートしてくれる人が身近にいることが、現在この場所で研究を続ける理由であり、より多くの人に面白いと思ってもらえる仕事を生むことが今後の目標です。ポスドク後もアメリカに残り続けるかはわかりません。ただ、この地で研究を通じて、世界中から集まった文化の異なる人々との交流を重ねることが、今の私にとって一番の喜びであり、それは研究者としての成功を目指すこと以上に価値のあることに感じています。
2020.02.18

海外だより№3 五十嵐啓さん(University of California Irvine)

University of California, Irvine
五十嵐 啓 (Kei Igarashi)
www.igarashilab.org
kei.igarashi@uci.edu
■はじめに
私は2016年2月よりUC Irvineにて研究室を主宰しております。アーバイン市はロサンゼルスから南に一時間弱のところにあるベッドタウンで、ロサンゼルス大都市圏の利便性と、郊外の安全・快適さを兼ね備えたところです。UC Irvineは、University of Californiaシステムの一つで、トップ校ではありませんが日本の旧帝大程度の環境が整っています。学会長の武田先生より海外だよりを書いてみませんかとお声がけ頂きましたので、海外に出るというのはどんなことなのかを私個人の視点から記し、若い方へのエールとさせて頂きたいと思います。

■ポスドクとしてノルウェーへ
私は東大理学部の坂野仁先生の研究室で卒研を行い、医学部の森憲作先生の教室で嗅覚生理学研究を行って学位を取得しました。森研究室では、みな博士号を取得後、海外にポスドクとして留学するのが自然な流れでした。そこで私も博士取得後すこし経ってから、2009年にノルウェーのEdvard Moser, May-Britt Moser先生夫妻の研究室ポスドクとして留学することにしました。当時、Moser夫妻はまだ気鋭の研究者で、神経科学分野でもそれほど知られてはおらず、なぜノルウェーなんかに留学するんだ?とよく聞かれました。私してはとても面白い仕事をしているからという理由だけだったのですが。むしろみんなが行くアメリカではないところもよかったのです。
ノルウェーは、北欧に広く見られるように、先進的な男女平等・ライフワークバランスのアイデアが国民に浸透しており、研究以外にも学ぶことが多くありました。研究所は非常に潤沢な資金に恵まれており、時間をかけて大きな仕事をする、というヨーロッパ式の研究スタイルのなか、じっくり時間をかけて研究を進めることが出来ました。ただ、まったくプレッシャーのない中、時間をかけすぎて6年半もノルウェーにいたのは、いまから思えばちょっと長かったかもしれません。ラボ在籍中の2014年のボス夫妻がノーベル医学・生理学賞を受賞した際には、ラボは興奮の嵐でした。しかし、私にとって嬉しかったのは、自分自身のラボを選ぶ目はやはり正しかったのだ、と再確認できたことでしょうか。

■ Job huntingの結果アメリカへ行くことになる
2014年にMoserラボでの研究がまとまり(Igarashi et al., Nature 2014)、job huntingを始めました。Moserラボのポスドクはラボ卒業後はprincipal investigatorとして独立していっていたので、私にとっても独立したポジションを探すのが当然の流れでした。公募の出ていた世界中の大学約50カ所に応募を出したところ、イギリス、アメリカ、日本から面接に来るようにと連絡が来ました。私の考えていた条件は、(0)tenure-track positionであること(大前提)、(1)これまでの研究環境と変わりなく研究が続けられる大学、 (2) 国外ならば日本から直行便がある町、(3)子供の日本語教育のための補習校のある町、(4)治安のよくて住みやすい町、というものでした。最初にオファーを頂いたのは京大白眉でしたが、残念ながら任期5年・スタートアップ資金のほぼ無い特任准教授ポジションでした。次に呼ばれたUniversity College Londonの面接では、「ロンドンで家は買えますか?」と質問して面接官として来ていたRichard Axel先生(前回の海外便りの服部君の先生ですね)の失笑を買ったせいか、あえなく不合格となりました。しかし、ロンドンのような大都市に家族連れで暮らすのは、とても難しいように感じました。その次に面接に呼ばれたのがUC Irvineです。下調べをしたところ、どうやらアーバインは(1)-(4)すべてを満たすとても魅力的な場所のようでした。面接では学科長から最初に「このポジションのスタートアップは6500万円、一切交渉不可。オファーを受けたら1週間以内に返事をしない場合は次の候補にしてしまうから」と宣言され、その後conference形式で8人の候補者が互いに発表しつぶし合うというアメリカの大学としては特殊な面接形式でした。オファーを頂いた際には、もっと研究レベルの高いBaylor Colledgeや日本の理研など、まだ幾つか面接が残っていたのですが、せっかく頂いたオファーです。いろいろ考えることはやめ、他を辞退してアメリカに移ることにしました。振り返ってみて、この判断でよかったと思います。
ポスドクの留学先としてヨーロッパを選びはしたものの、やはり生命科学の絶対的中心地はアメリカです。ヨーロッパの研究者も、みなアメリカを向いて研究をしています。ポスドクをしている間にだんだんと、研究者としてアメリカの科学を見ずには死ねないだろうな、と感じ始めていました。ですので、それ以前のアメリカでの経験なしにアメリカでPIポジションを得ることができたのは幸運でした。

■ラボ立ち上げ
アメリカで独立する多くの日本人は、院生やポスドク時からアメリカに来ており、独立する際にはすでにアメリカの研究システムを熟知しています。私の場合、アメリカ暮らしがそもそも初めて、加えてラボ立ち上げの二重苦でした。PIとして最も重要なのはやはりグラント取得です。アメリカの大学は1-1.5億円のスタートアップ資金が与えられるのが普通ですが、私の場合は上の通りかなり値切られてしまいました。学科長曰く、「startupは鉄砲と三発の弾丸である。これで最初の獲物を捕ったら、あとはそれを売って自分で次の弾を買うべし」と。売る獲物とは論文のこと、次の弾は外部資金のことですね。そんなわけで、グラント書きを始めましたが、これまで日本やノルウェーでは英語でグラントを書くトレーニングなどしたことがありません。一方で周りの研究者は、博士課程・ポスドクの間にNIH fellowship(基本的にグラントと同じフォーマット)を書くトレーニングを長期間受け、独立する頃には十分な経験を積んでいるのです。周回遅れのスタートで、自分はこの国で生き残れるだろうかと、とても不安でした。まず最初に出したのは、ラボを始めて数年以内の人向けのfoundaton grantsです。これらにアイデアを絞りだしながら30以上応募し、4つ取得することができました(計9000万円弱)。最初の一年間は、ほぼグラント書きばかりしていましたので、一年間これだけ書いて4つか...と自分では思ったのですが、周りからは上出来だと言われました。幸いにもJSTさきがけにも採用して頂いたので、日本の研究と接点を保つことができています(学会長の武田先生には、JSTの領域会議でお声がけ頂きました、感謝致します)。NIHのグラントの書き方にも徐々に慣れ、3年目にR01を2つ取得することができました。R01を取ることがテニュア取得条件の一番の鍵ですので、R01をもらえて、アメリカに来てやっと一息つくことが出来ました。とても興奮するような発見もラボで幾つか出てきており、いい論文が書ける段階にそろそろ来ています。
初めはとても不安とストレスの大きいラボ立ち上げでしたが、不安がなければあれだけ働くこともできなかったでしょう。頑張った分は結果として戻って来ました。アメリカでは努力が報われる構造にある程度なっているように感じました。ノルウェーや日本ではなかなかこうは行かなかったでしょう。アメリカのassistant professorがassociate, full professorとほぼ同じ機能を持っていて、同じグラントにアプライすることができ、若手教員にも青天井が用意されている一方、ヨーロッパや日本では世代ごとに異なったグラント(若手の方が少額)が用意されてしまっているためです。

■五十嵐ラボでの研究
私たちの研究室はin vivo electrophysiologyを用い、記憶を司る脳回路機構の研究を行っています。マウスの脳に電極を複数留置し、マウスが記憶を行っている際の海馬・嗅内皮質の神経細胞の活動パターンがどう変化するかを明らかにするというものです。脳科学ではElectrophysiologyで脳活動の記録だけを行うという観察主体の研究が長らく続きましたが、近年脳活動の活動を直接操作できるoptogeneticsが開発され記録と操作手法の双方が可能になり、脳回路の機能同定が可能になり始めています。私のラボのウリは、このelectrophysiologyとoptogeneticsを組み合わせた手法を、記憶の中枢である海馬・嗅内皮質で使い、神経回路レベルで解析している世界で数少ない研究室の一つだということです。研究室のもう一つの特徴は、記憶回路の基礎的なメカニズムだけでなく、この知見を用いてなぜアルツハイマー病の記憶疾患が生じるのかを神経回路レベルで研究していることに研究室のもう一つのフォーカスを向けているということです。神経科学はこれまで膨大な基礎的な知見が蓄積され、そろそろその知見を脳疾患メカニズムの解明に活用する必要があると私は考えています。研究室にはアイデアは沢山あり、資金も揃ってきているのですが、アイデアを実現してくれる人材がまだまだ足りていません。一緒に頑張ってくれる方を常時募集しておりますので、興味を持たれた方はぜひ連絡して下さい。

■海外に留学するということ
この海外だよりのコーナーの読者の方々には、おそらく高校生・大学学部生の若い読者さんもいらっしゃることでしょう。近年、とみに若い方の留学する傾向が低下していると言われていますが、これは残念なことだと感じています。そこで、若い方の参考になればと思い、私自身とって海外に出て何がよかったか(そして何がよくなかったのか)を書きだしてみます。
まず、海外へ出て一番大きかったのは、自分の向上心・野心への抑圧を解放できたことでしょう。日本では、小さい頃からみな知らず知らずのうちに野心を抑圧されている教育を受けているように感じています。「自分勝手」という言葉がいい例でしょう。自分勝手は嫌われますよね。社会構造も抑圧的といっていいかもしれません。ヨーロッパも多少抑圧的です。一方、アメリカではあなたが何をしようと、周りはまったく気にも止めません。基本的にみな自分勝手です。でもそれでいいんです、やったもの勝ちです。抑圧を自分から取り除き、自分の創造性は青天井だ、と自分に思い込ませることは、研究者としてなによりも大切なことの一つではないでしょうか。もし私が留学せずに日本に残っていたら、きっとつまらない研究者になっていたでしょう。
二つ目は、海外へ出て、頼れるものは誰もいない、自分自身の力で生きていくしかないと自覚できたことでしょう。日本にいた間は、研究面では指導教官に、生活面では親にと、頼れるものがたくさんあり、真の独立心が育っていなかったように思います。もし助教として研究室に残ったりしていたら、きっと指導教官の庇護に頼る気持ちを長期間持ったままだったでしょう。一度国をまたぐと、過去の関係にはほとんど頼れなくなるので、何もないところからすべてを構築していく必要があります。そういう状況に自分を置くことも、自分には大きな糧となったように思います。研究室を立ち上げる際は、ゼロから自分の研究を作り上げていかなければいけません。野心と独立心は、研究者にとって大変重要なメンタリティーで、私の研究室の大学院生・ポスドクを見ていますと、この二つが十分育つことがよい研究者になる必要条件であるように感じています。
よくなかったこと...親や旧友に頻繁には会えないこと。しかし、いまはスカイプがありますし、これは国内で離れたところに住んでいれば同じことでしょう。アメリカに留学すると食事がおいしくない(「メシマズ」)と揶揄する声を時々耳にしますが、そんな人にはノルウェー留学をしたあとにアメリカに移ることをぜひおすすめします。アメリカ(特に西海岸)は天国ですよ!
留学するメリットが、第一線の科学を経験することにあり、日本の科学がトップレベルになった現在そのようなメリットは失われたと思う方もいらっしゃるかもしれません。しかし、留学の最大のメリットは自分自身のメンタリティーのさらなる育成にあり、これはいつの時代でも必要なことではないかと思います。


■終わりに
日本では、若い方のあいだで、研究者になるのは苦労が多く、報われないキャリアパスなのではないか、という忌避感が生まれているように最近感じています。博士課程では無給、教員になっても薄給、雑務が多く、研究費もじり貧。。。しかし、一番の問題は、私と同年代以上の教員の方々にも切迫感が漂いはじめていることではないでしょうか。大変だ、大変だ、と上の世代が言っていたら、下の世代は付いてくるのをためらいますよね。私たち前を走るものが、「研究者って楽しくてたまらない!」という後ろ姿を見せ続けることが、後に続く世代を引きつけるのではないでしょうか。私が学生の頃は、先生方はとても楽しそうにしておられましたし、そんな先生方をみて、自分もあんな風になりたい、と思ったものです。そんなわけで、アメリカでの研究稼業がどれだけ楽しくてたまらないかを少々。日本の先生方、決して自慢したい訳ではありませんので、どうぞ気を悪くされないでください。
まず大学院生にとって、アメリカは天国です。博士課程に入れば、十分生活出来る程度の給料(年300万円程度)は補償されますし、授業料はボスが出してくれます(ちなみに、ノルウェーの大学院生なら年に600万円もらえ、子供が生まれれば1年の有給育休も付きますので、ノルウェーの大学院生は非常にお勧めです)。ポスドクの給料は日本とそれほど変わりませんが、ポスドク後の教員採用や企業就職の可能性は日本より遙かに高いので将来におびえることはありません。
大学教員になれば、assistant professorでも一軒家が買える程度のそれなりの給料がもらえますし、グラントを取れば数百万円の単位で給料を上げることもできます。シニア教員になれば年収2000-3000万円はもらえますし、一度テニュアを取れば定年はないので、この給料をもらいながら死ぬまで研究を続けることもできます。以上が生活基盤。研究面では、assistant professorレベルでもNIH R01 (1.3億円、5年間、更新可能)を数個とることが可能ですし、科学の中心地に身を置いて自分の研究を好きなだけ進めることができます。講義、事務仕事、会議もそれほど多くはなく、80%程度の自分の時間をサイエンスに集中することができます。どうです、楽しいことばかりでしょう?
海外での経験は、ほぼ間違いなくあなたをより良い研究者に育てるはずです。海外でのサイエンスが楽しそうだと思ったあなた、ぜひ留学しませんか!!研究留学について相談をしたい方は時間の許す限り返事をするように致しますので、メールを送って下さい。