2023.08.25

倉谷滋のお勧め<まとめ第4弾>

倉谷滋先生お勧めのクラッシック論文を紹介します。

31. Narayanan, C. H. & Narayanan, Y. (1980). Neural crest and placodal contributions in the development of the glossopharyngeal-vagal complex in the chick. Anatomical Record: Advances in Integrative Anatomy and Evolutionary Biology196, 71-82.
もうすっかり流行らなくなってしまったが、神経堤やプラコードの除去によって末梢神経系の発生機序を理解しようという論文は過去に多くあり、ほぼ正しい結論を導いていた。こういったタイトルを見ると、自分で作出した標本のスケッチを思い出す。

32. Kessel, M. & Gruss, P. (1991). Homeotic transformations of murine vertebrae and concomitant alteration of Hox codes induced by retinoic acid. Cell 67, 89-104.
レチノイン酸によってHox遺伝子発現が誘導され、結果として椎骨の形態アイデンティティが後方化するという図式を示した論文。分子的発生機構がボディプランに肉薄していた頃の象徴的論文。

33. Lim, T.M., Jaques, K.F., Stern, C.D. & Keynes, R.J. (1991). An evaluation of myelomeres and segmentation of the chick embryo spinal cord. Development 113, 227–238.
脊髄にも分節があり(脊髄分節)、その形成が傍軸中胚葉(体節)によって誘導されることを示す。ここでいう分節的オーガニゼーションが発生過程のどの場面で何を制限しているのか、まだ明らかにはなっていない。

34. Köntges, G. & Lumsden, A. (1996). Rhombencephalic neural crest segmentation is preserved throughout craniofacial ontogeny. Development 122, 3229–3242.
頭部神経堤細胞の各集団が、それが由来する菱脳分節(ロンボメア)ごとに特異化されていることを示した論文だが、あらためて分節性が何を意味するのかについて考えさせられる。

35. Källén, B. (1956). Experiments on Neuromery in Ambystoma punctatum Embryos. Development 4, 66–72.
すべての神経分節が系列的に等価ではなく、場所ごとに異なった発生機構をベースにしていることを示唆した先駆的論文。

36. Mallatt, J. (1996). Ventilation and the origin of jawed vertebrates: a new mouth. Zoological Journal of the Linnean Society 117, 329–404.
顎の進化の「ventilation theory」を示した論文。かなり分量があるが、比較形態学と機能形態学的考え方を学ぶためには挑戦する価値がある。

37. Kimmel, C. B., Sepich, D. S. & Trevarrow, B. (1988). Development of segmentation in zebrafish. Development 104, 197–207.
この論文においてキンメルらはゼブラフィッシュの胚に4種の分節を認めている。ここでいうsegmentsは狭義のもので前後軸に沿って繰り返す単位を、メタメリズム(metamerism)は体全体が同じ構造群を含むユニット(メタメアmetameres)からなることを指す。

38. Koltzoff, N. K. (1901). Entwicklungsgeschichte des Kopfes von Petromyzon planeri. Bull. Soc. Nat. Moscou 15, 259-289.
19世紀末から20世紀初頭における比較発生学では、サメやエイの発生パターンが理解の基本とされ、他の脊椎動物胚の記載がそれに大きく影響されていた。その傾向を「板鰓類崇拝」というが、この論文はある種その典型例ということができる。

39. von Kupffer, C. (1899). Zur Kopfentwicklung von Bdellostoma. Sitzungsber. (リンクなし)Ges. Morphol. Physiol. 15, 21-35.
ヌタウナギ頭部の胚発生を本格的に記載した最初の論文。この動物の胚頭部前方に外胚葉のみからなる(ヌタウナギに特異的な)「二次口咽頭膜」が存在することを正しく記述した。が、この報告はその後長らく忘れられることになった。

40. Lacalli, T. C., Holland, N. D. & West, J. E. (1994). Landmarks in the anterior central nervous system of amphioxus larvae. Phil. Trans. R. Soc. Lond. B 344, 165-185.
Lacalliはナメクジウオの脳形態を透過型電子顕微鏡で詳細に観察、この後一連の論文を発表した。胚における遺伝子発現パターンも加味したうえで、脊椎動物の脳との比較における問題点を浮き彫りにした。90年代Evo-Devo黎明期を特徴づける論文のひとつ。

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2023.04.07

海外便り№17 佐奈喜-松宮舞奈さん (European Molecular Biology Laboratory)

佐奈喜-松宮舞奈 (European Molecular Biology Laboratory)
はじめまして、スペイン、バルセロナにあるEMBL (European Molecular Biology Laboratory)でポスドクをしている松宮舞奈です。はじめに、大澤先生、丹羽先生、執筆の機会を頂きありがとうございます。

経歴
学部時代では、静岡大学の小池亨研究室で胆管上皮細胞に特異的に発現する遺伝子の機能解析に関する研究を行っていました。いろいろと勉強する中で骨形成に興味がわき、 京都大学大学院の影山龍一郎研究室(現在、理研CBS)にて修士課程と博士過程の合計5年間を過ごし、脊椎や肋骨の元となる“体節”の形成を研究してきました。2019年に博士号を取得し、ポスドクとしてEMBLバルセロナの戎家美紀研究室に参加し、5年目が始まったところです。体節形成の研究内容に興味のある方は下の論文を読んでみてください。
マウスES細胞から体節形成過程をin vitroで再現した研究
ES cell-derived presomitic mesoderm-like tissues for analysis of synchronized oscillations in the segmentation clock (2018) Development
ヒトiPS細胞から体節形成過程を再現したオルガノイド研究
Periodic formation of epithelial somites from human pluripotent stem cells (2022) Nature Communications
その他の論文は(https://orcid.org/0000-0002-4824-304X)です。

EMBLバルセロナはどんな所?
EMBLは27の加盟国からのサポートを受けEU内に6か所 (Barcelona, Grenoble, Hamburg, Heidelberg, EBI Hinxton, Rome) の研究施設をもっています。その中のEMBLバルセロナは2017年に設立され、組織生物学と疾患モデルに焦点を当てた研究を行っています。研究所自体はPRBB (Parc de Recerca Biomèdica de Barcelona) という、いくつかの研究所が入居している複合施設の中にあり、目の前は地中海に面したビーチです。夏になると施設全体でビーチバレーボール大会が行われ、EMBLだけでなく多様なバックグラウンドを持つ研究者と交流があります。
海外の研究室に行った経緯
この文章を読んでいる方の多くは、海外の研究室に行きたい!!海外のこのラボに行きたい!!と思い、情報を探し、いくつか受け入れ先を探し、連絡をし…という方が多いでのはないでしょうか。これまでの体験談の方々と真逆といっていいほど “運”で海外の研究室に来た私の経験がどこまで役に立つかはわかりませんが、、、事実を書いていきたいと思います。
私の場合は、ありがたいことに卒業1年前の2018年に筆頭著者論文を出すことが出来ました。そして、このタイミングで分子生物学会に参加したことが大きなポイントでした。学会から数日後、当時、理研に所属していた戎家美紀先生から学会のWeb交流サービスを通じて『2019年にEMBLバルセロナに移動するためポスドクを探しているが、卒業後の行き先は決まっていますか?』という連絡がありました。ぽやーーーと生きてきた私にとって、とてもありがたい提案で、『卒業後の行き先は決まっていません、是非行きたいです』と返事をしました。しかし、『フェローシップを自身で取得する必要があり、フェローシップが終わった後そのままいられるかの保証はない。』ということでした。戎家研究室で新規の実験系を立ち上げるポスドク採用の話だったので何の期間が決まっていないということは不安が大きかったですが、フェローシップを取れれば卒業後の行き先が決まる!というモチベーションで申請書の作製に真剣に取り組みました。無職かポスドクかの究極の選択です。海外学術振興会の海外特別研究員は落ちてしまいましたが、ありがたいことに、いくつか製薬会社のフェローシップに採択して頂くことが出来ました。その中でも2年間貰える第一三共生命科学研究振興財団の海外留学奨学研究助成金をもらい、2019年4月バルセロナへウキウキ向かいました。1年半後、コロナでロックダウンしている中、海外学術振興会の海外特別研究員に再挑戦し、2年間のフェローシップを貰いました。渡航先と金額との相談にはなってしまいますが、製薬会社のフェローシップは日本にいるときでないと出せないので、もし長期を目指すなら、まずは製薬会社のフェローシップを貰ってから海外学振に応募するのをお勧めします。

スペインでの生活
海外に行った経緯が役に立つかわからないので、せめて生活面での経験だけでも役に立てるといいなと思い少し長めに書いてみます。
まず皆さんが海外に移動するとなると治安の良しあし、生活費に関して、特に気になるのではないでしょうか。心配していましたが、バルセロナは思っていたより治安がいいなと思いました。しかし、“気を付けていれば”です。夏になれば公園で爆竹と花火を片手に騒いでいる集団もいますし、まちなかで薬物の匂いもします。同僚は朝方3-4時に路地を歩いていたら首絞め強盗に会い、かばんもお財布も盗まれる事件に遭いました。他の同僚は、メトロで手に持っていた携帯を奪われたり、財布や携帯をすられたりしています。私は、ジャケットのポケットに入れていたミニタオルを盗まれました。ボロボロだったけどお気に入りだったので少し悲しかったです。バルセロナに限らずどの国に行くとしても、夜遅くに出歩かない、警戒しているふりをするだけで減らせる危険は多いと思います。やたらキョロキョロしてあるくのは、おススメです。
バルセロナの食べ物はとてもおいしいです。外食すると日本より高くなってしまいますが、スーパーに行けば、野菜やお肉は日本よりかなり安く手に入るので、自炊すれば快適な生活が送れます。スペインには米料理であるパエリアがあるので、スーパーで売られているお米も種類が豊富で、日本で食べるお米と遜色ないと思います。しかし残念ながら魚は生臭いことが多く、サーモンとマグロ以外はあまりお勧めしません。ただ、スペイン料理といえばほとんどトマトで煮られることが多いのですが、日本風の調理では生臭かった魚もトマト缶で煮込むとおいしくなるので、郷土料理はその地に合った最適な料理方法なのだなと改めて実感しました。
家賃は少し高めで、1人暮らしの部屋で10-15万円くらいです。京都や東京の家賃くらいでしょうか。ヨーロッパではよくあることですが、ほとんどの家は家具家電付きなので、身ひとつで移動できるのがとてもいいところです。しかし外国人(特にヨーロッパ以外)が長期の家を借りるのは少し難しく、3か月分の銀行口座残高証明を求められます。日本の残高証明は受け付けてもらえないこともあるので、はじめは短期の賃貸(11か月まで) を借りるのが安心だと思います。ただ不動産屋や大家さんによって独自ルールがあるので、良い大家さんに出会えるとすぐに長期の家も借りられるようです。私は会えませんでした。地震がない国なので、5階建ての建物全体が傾いているなど、え!?この家を貸すの!?と思うクオリティの家にも遭遇します。私は3年間で既に4回引っ越しをしているのですが 、2つ目の家は部屋が最大5度傾き、椅子に座ると倒れるほど。もちろん床においた瓶はコロコロ転がります。1個目の家がとても良かったので、仲介業者のとてもいい部屋だよという言葉を信じて内見もせず契約してしまった大失態で、さすがに1か月で引っ越しました。賃貸の契約時には、家賃だけでなく仲介料などお金がかかるので、内見は大切という言葉が身にしみました。3つ目の家は、ようやく長期の家を契約できたのですが、建物が古すぎて気温によって窓枠の木が膨張するので、窓が閉まったり閉まらなかったり。修理に来た人は素人で、窓枠を削りすぎて隙間風がつねに吹き込むように。こんなこともあるのかと勉強になりましたが、コロナで不動産屋が倒産しこの部屋は退去することになりました。これまでの経験や、コロナで家賃が下がったタイミングでもあったことから、4年目にして現在の家に出会え、ようやく安定した快適な住環境を手に入れました。バルセロナでは、毎年更新される地価に連動して賃貸料が見直されます。最近、地価が上がった影響で4%家賃も上がりましたが、これ以上引っ越すことはないです(たぶん)。

まとめ
私は良いことが積み重なった結果、バルセロナでポスドクをしていますが、今になってよくよく考えると、戎家美紀先生とお話ししたこともなく、どんな人かも全く分からない中、よく行きたいですと返事したものだなと思います。当時も周りからは結構驚かれました。が、いい機会だしとりあえずやってみよう!と思ってふみだした結果、バルセロナでポスドクができたことはとても大きな財産となり、誘ってくださった戎家美紀先生には本当に感謝しています。しっかり考えると不安が増えてきてしまうので、まずは行動するのもいいと思います。
海外に行くことの心配は多いかもしれないけど、意外と心配するほど大きな問題はなく進んだりするものです。心配してやらないよりは、やってみた方が数倍もいい経験になると思います。人生一度しかないので、自分の思うまま、好きなように、楽しく過ごしてください!!
2023.03.28

海外便り№16 稲葉真弓さん (UConn Health)

稲葉真弓 (UConn Health)
初めまして、コネチカット大学でAssistant Professorをしている稲葉真弓と申します。私は2009年から17年までの間ミシガン大学の山下由紀子先生の研究室にポスドクとして所属させていただき、2017年からはコネチカット大学に雇用されています。所属にいたった経緯としましては、山下さんのポスドク時代の仕事で、幹細胞の非対称分裂後の位置情報ががどのように分裂後の幹細胞の運命決定に携わっているかということを鮮明に示された論文に感銘を受けたので、ポスドクとして雇ってもらえませんか、とメールをして雇っていただけることになりました。
山下ラボではショウジョウバエの幹細胞システムを用いて、どのように幹細胞が実際の組織の中で制御されているか、幹細胞とその周りにいるいろいろな細胞たちがどのように相互作用しているかということにフォーカスして研究を進めました。実際の幹細胞とそのニッチを形成する細胞が明らかに目に見えるシステムですが、その挙動を観察すればするほど、いったいどうやってこれほどの柔軟かつ精密な制御が可能であるのかといった疑問が次々に生まれてくることに気づきました。さらに、一つ一つのメカニズムを解明するたびに、いかにその制御機構がヒトも含む他の生物において保存されているかということにも驚きました。
山下さんは一人一人のラボメンバーにみあった指導をしておられ、私はかなり自由に研究テーマも好きに考えてやらせていただきました。今、自分のラボを持つようになってからは、多額の給料を支払いつつよくそこまで自由にやらせてくれたなあと思います。さらには2012年から5年間にわたって、家族の都合でテキサス州に住むことになり、遠隔地でのコラボレーション先に所属していたのですが、その間も途切れることなく雇用を続けていただき、ポジション探しに際しても随分助けていただきました。後になって考えると、もっと成果を出すべきだったな、と思います。自分のラボを持つことになった今後は、引き継いだ山下ラボのサイエンスのスタイルを使っていい仕事をしていくこと、自分のラボのメンバーたちを立派に育てるという形でpay offしていくつもりです。
ポスドクの最終年には、夫婦ともに各60ほどの公募に応募して、私は5か所ほどでインタビューうけましたが、あまりストラテジーを建てずにインタビューに挑んだうえ、食事の際にワインを飲みすぎて調子にのったりと、ほとんど惨敗しました。コネチカット大学の面接は幸いにも失敗せずにすみ、さらに夫婦での職探しに協力してもらえそうだったのでオファーを受けました。デパートメントはラボの立ち上げにとても協力的で、さらには3年後にには配偶者のポジションも取得できました。
コネチカット大学の規模は小さめですが、あまりストレスもなく、研究以外のdutyも少なめで、研究を楽しむといった環境としては良い方ではないかと思っています。もともと私自身、行き当たりばったりで医学部に入ったものの、生物学、医学はあまり得意ではありませんでした。教科書一ページごとに、何か腑に落ちない、すっきりしない、わかったような、わからないような、といった感覚に陥って、なかなか次に進めないといったことが多々あり、学部の学生時代は特に困っていました。後になって研究を始めてから、このような感覚、当たり前と言われていることでも何か腑に落ちない、ほかのシステムで分かっていることと照らし合わせると矛盾している、といった感覚は、実は間違いではなく、テキストブックには、実際によくわかっていないことがいかにもわかったように描かれているからだということに気づきました。よくよく観察し、深く実験の結果を考慮すると、誰も考えてもいないこと、気にも留めていないようなことを私達の体や細胞はよく知っていて、その上でうまく調節しているということがたくさん見えてきます。現在は研究を進める上で、自分自身の何か腑に落ちないな、という感覚にはとても助けられていて、うちのラボではそこから生まれたプロジェクトがいくつも並行して進んでいます。とくにラボのメンバーには当たり前と思われていることも、よく考えて、そこから出てきた疑問を突き詰める、といったスタイルを伝承したいという気持ちで日々ディスカッションしています。
アメリカに来ることになったのは以上の経緯で、こちらも行き当たりばったりな感がありますが、実際にアメリカの社会に入ってみると、私自身にとっては日本にいた時と比べて随分なじみやすいなと感じています。いろいろな人種が混じりあっている移民社会なので(言い換えれば、全然出どころの違う人たちが皆ある程度満足できるところで落ち着いた社会構造であるので)、誰にとってもある意味住みやすさがあるのではないかと思います。とはいっても、私自身ほんの一部の社会にしか触れていませんので、何とも言えませんが。
ミシガンも自然は素敵でしたが、コネチカットもそうで、町の中にも思ってもみないところに大自然が残された公園があったり、夏はホタルがいっぱいいたり、秋は目の覚めるような紅葉が見れたりと、いろいろなところで癒されます。日本人の人口は少ないですが、最近5歳になった双子が日本人補習校に通いだし、日本の方々と知り合うことができました。一時的にこちらに数年滞在する方、長く住んでいる方などいろいろですが、日本とアメリカの違いなどを面白おかしく話たりと、共感できることもあり、おもしろい友達ができそうです。
コネチカット州ハートフォードの郊外にある公園と農園直営の野菜の販売所。日本で見かけない野菜や、めずらしい植物などがみられます。好きな野菜を自由に収穫して購入することができます。
コネチカット州ハートフォードの郊外にある公園と農園直営の野菜の販売所。日本で見かけない野菜や、めずらしい植物などがみられます。好きな野菜を自由に収穫して購入することができます。
海外、国内、とは関係ないかもしれませんが、このような経緯をとってよかったと思うことは、いろいろな人との出会いです。研究を続けていると、それを通して長くつづく大切な出会いがたくさんあります。研究者同士のつきあいでは、自分のやった仕事がアイデンティティとなります。そこで大事なことは自分の仕事に誇りを持てるような仕事をすることじゃないかなと思います。自分のやることを愛しなさい、というのは実はニューシネマパラダイスという映画のアルフレードというおじさんがいった言葉のパクリですが、人生の教訓にしています。
取り留めない文章になってしまいましたが、研究者として今後の行き場を探っている若い方々に、何らかの参考になれば幸いです。
以下にラボにおいて現在進行中のプロジェクトの一部を紹介します。
1.非対称分裂の必要性を検討する
ショウジョウバエの生殖幹細胞は非対称分裂の研究に盛んに用いられています。ニッチを形成する10個前後の細胞が小さな塊となって精巣の末端に存在し、生殖幹細胞はそれをとりまくように存在します。生殖細胞が分裂する際には、紡錘体がニッチと幹細胞の接触面に対し垂直に形成されるため、娘細胞は一つはニッチの近傍、もう一つは遠方に配置されます(図1)。その結果2つの娘細胞はニッチからの距離の違いにより、自己複製と分化へと異なる運命に決定されると考えられています。この配置は大変厳密に制御されていて、90%以上の幹細胞の分裂は結果的に非対称となります。しかし意外なことに、なぜ幹細胞が非対称に分裂する必要があるのか、ということは実はまだ謎です。というのはニッチのスペースが幹細胞の数を決定しているため、非対称分裂が起こらなくても、結果的にニッチの近傍にいる細胞のみがそのシグナルを受けて幹細胞の運命を維持するので、幹細胞と分化していく細胞のバランスは保たれることになります。実際、紡錘体の方向の調節を阻害しても幹細胞の数と分化のバランスほぼ正常に保たれます。
そこで私たちは、一つの可能性として、非対称分裂は幹細胞の遺伝学的多様性を保つために必要なのではないかと考えました。幹細胞が非対称に分裂することで、ニッチに例えば3つの幹細胞が維持されているとすると、もしある時点でDNA上に変異が起こった場合でも3種類の遺伝学的に異なる細胞が永遠に維持されることになります。ただある確率で対称分裂が起こり二つの娘細胞が両方ニッチに入り、別の一つの幹細胞が追い出されたりすると、この多様性の維持は乱され、いずれ一つの幹細胞由来の細胞がニッチを占拠することになります。この現象はneutral competitionと呼ばれ、幹細胞の対称分裂がよくみられる腸などにおいての幹細胞のクローンの増殖の一因として考えられています。
幹細胞非対称分裂がどの程度幹細胞クローンの多様性維持に関わっているのかを検定するために、我々はまずFLP-FRTシステムを用いたクローン追跡を行い、非対称分裂の頻度を正確に検定しました。その後得られた頻度をもとに数理モデルを構築し、非対称分裂が乱された場合にどのくらいのスピードでクローンがニッチを占領するのかということを検定しました。その結果、単一幹細胞クローンの占領までにかかる時間は非対称分裂の頻度に強く依存し、非対称分裂を恒常的に行っているニッチにおいてはその頻度が高ければ高いほどクローンの増殖までの時間がかかることがわかりました(図2)。
この結果は、ニッチが幹細胞の数を決定する主要因子となっているすべての幹細胞システムにおいて適応可能であり、近年着目されている造血幹細胞のクローン増殖や、がんの進化・悪性化などの原因のさらなる理解、予防、治療戦略等に貢献すると考えられます。当ラボにおいては並行して非対称分裂の制御機構の遺伝学的、生物学的な解析に加え、数理モデルをさらに応用し、単一クローンが変異により様々な異なる表現型を獲得した場合に、どのような表現型が選択的優位性をもたらしニッチを占領する結果につながるかという検定を進めています。
幹細胞の非対称分裂においては細胞内にすでに存在し不均等に分配する因子も数多く知られており、それらの因子の分配は非対称分裂がなされない場合にランダム化されることになります。各因子の分配はそれぞれ異なる生理的意義があると考えられることから、非対称分裂の生理学的意義は複数あると予想されます。おそらく進化の早い段階で始まった非対称分裂を利用して、様々な因子がこの都合の良い機構を利用して不均等分配を獲得し、それらの個体が優位に集団の中で生き残ってきたのではないかと考えます。
2.非対称分裂前後の遺伝子発現の変化を知る
遺伝子の発現の調節は転写因子の作用に加え、クロマチン構造、ヒストンなどの翻訳後修飾、さらには近年ではマイクロRNAの作用などの様々なレベルで行われていることはよく知られていますが、実は細胞の特性が変化する場合にどういった順序で遺伝子発現変化が起こるのかということは意外にもよくわかっていません。ショウジョウバエの精子幹細胞のシステムでは、事前にプログラムされた遺伝子発現の変化が決まった順序で起こります。特に幹細胞の非対称分裂に際しては、一度の分裂の前後ですでに異なる遺伝子発現パターンの構成が始まっていると予想されていて、遺伝子発現変化のモデルとして有用なのではないかと考えました。
そこで私たちは、幹細胞特異的に発現していると考えられているSTAT92Eという遺伝子に着目し、nascent transcriptの変化をイントロン配列に対するプローブを使ったFISH法にて調べたところ、予想通り細胞の分化が進むごとに転写量が徐々に減少していくのが観察されましたが、それ以外にも予想外の面白い現象が確認されました。
ショウジョウバエでは母方、父方由来の二つの相同染色体がペアを作って存在しています(Somatic homolog pairing)。そして各遺伝子領域(正確にはTADs:topologically associated domains)の相互座用は、その発現量に相関して強かったり弱かったりすることが報告されています。我々の解析により生殖幹細胞において、二つの相同染色体上のSTAT92E遺伝子の領域は強く相互作用しているのに対し、分裂後に分化に方向づけられた娘細胞では有意に相互の距離が離れていることがわかりました。さらに詳しく調べてみると、この遺伝子領域の物理的な距離の変化は、分化に伴うSTAT92E 発現量の急激な減少に必要であることがわかり、遺伝子発現変化のかなり上流の段階での調節であることが予想されました(文献1)。
今後の研究では、この遺伝子座をモデルとして、相同染色体上の遺伝子領域相互作用の物理的な変化がどのように調節されているのか、またそれによって遺伝子発現量が変化するメカニズムを調べていくつもりです。

文献1:
Antel, M., Raj, R., Masoud, M.Y.G. et al. Interchromosomal interaction of homologous Stat92E alleles regulates transcriptional switch during stem-cell differentiation. Nat Commun 13, 3981 (2022). https://doi.org/10.1038/s41467-022-31737-y

研究室ウエブサイト: https://health.uconn.edu/germline-stem-cells/
2023.02.28

海外便り№15 天久朝恒さん (MRC London Institute of Medical Sciences)

天久朝恒 (MRC London Institute of Medical Sciences)
Research Associate
Gut Signalling and Metabolism Group
MRC London Institute of Medical Sciences
Imperial College London
London, UK
email: t.ameku[at]imperial.ac.uk
はじめに

イギリス・MRC LMS/インペリアルカレッジロンドンでリサーチアソシエイト(ポスドク)をしております天久朝恒と申します。私の経歴を簡単に振り返ると、学部生(筑波大)の時に、小林悟先生(当時は基生研、現在は筑波大)の集中講義に出席したことがきっかけで、キイロショウジョウバエを使った研究に興味を持ちました。その後、丹羽隆介先生(筑波大)のもとで約6年間、ショウジョウバエの生殖幹細胞にかかわる研究に従事しました。具体的には、交尾後に卵形成過程が活発化するメカニズム、およびその制御因子として卵巣で生合成されるステロイドホルモンや腸から分泌されるペプチドホルモンに着目していました。2018年に博士号を取得し、ポスドク先としてProf. Irene Miguel-Aliagaのラボにジョイン、ロンドン生活5年目の現在に至ります。

研究

私たち「Gut Signalling and Metabolism」グループでは、成体器官のリモデリングとして特に腸の可塑性に興味を持ち、ショウジョウバエ・マウス・オルガノイドをモデルに研究を進めています。現在ラボメンバーは13名(ポスドク7、PhD 学生4、テクニカルスタッフ2)で、それぞれがオリジナルかつチャレンジングなテーマに取り組んでいます。Ireneのラボに興味を持ったのは、交尾後の腸リモデリングに関する論文を読んで面白いなと思ったことと、博士課程で取り組んでいた自分の研究や興味をより発展できるような気がしたからです。特に彼女との面識はありませんでしたが、メールでやりとりして、D2の秋にインタビューに行きました。ちなみにインタビューに行ったのは日本とアメリカのラボを含めて合計3つで、どのラボでも「セミナー、ラボメンバーとの1 on 1ミーティング、ランチ/ディナー」という一般的な流れでした。スピーディーな英語になかなかついていけず苦労しましたが、当時のIreneラボのメンバーが、ヨーロッパで出せるフェローシップのリストをわざわざメモに書いて渡してくれたり、ロンドン観光のおすすめルート(テムズ川沿いの散策etc.)を詳細に教えてくれたりして、色々と良くしてもらったことを覚えています。無事フェローシップ(海外学振)に採択されたこともあり、学位取得後にラボにジョインすることができました(ポスドクがみなフェローシップによるself-fundedという訳ではなく、数としてはemployedの方が多いと思います)。私の場合、海外学振(2年)→上原(1年)→グラント雇用(現在まで)という流れでした。留学開始〜3年経過時の振り返りは以下の記事に寄稿しましたので、よかったらご覧ください。

上原記念生命科学財団 海外留学だより|イギリス・2020年度版掲載分
https://www.ueharazaidan.or.jp/tayori/tayori_UK.html

ラボ生活で再認識することは、ディスカッションの重要性です。ボスは多忙ですが、相談ごとや話し合いにはウェルカムで、いつでも彼女のオフィスに立ち寄ってチャットすることができます(オープンドア・ポリシー)。日々のコミュニケーションはもちろん、ラボミーティングでは、スライド/データの説明よりも、多くの時間をインタラクティブなやりとり(質疑応答やディスカッション)に費やす印象があります。ジャーナルクラブでは、誰かひとりが論文を説明する代わりに、決められた論文を全員が事前に読んできて、すべての時間をオープンな議論にあてる、というスタイルをとっています(一方で、長い会議はあまり好まれないというのもひとつの特徴かもしれません)。“Don’t demonstrate, but illustrate”というのは、プレゼン(学会発表等)におけるボスの教えです。自分がプレゼンする際にも、少なくとも学会発表/セミナーにおいては、big picture を描けるよう(そこから活発な議論に繋げられるよう)心がけています。

生活

研究所の位置する西ロンドンは落ち着いていて比較的治安が良いエリアです。中心部までのアクセスも悪くなく、Francis Crick InstituteやUniversity College Londonがあるセントラルロンドンまでチューブ(地下鉄)で30分ほどです。ロンドンは、バス・チューブ・オーバーグラウンド等の公共交通機関が発達しているため、車がなくても困りません。私が住んでいる西ロンドン・チズウィックは、家族連れやワンちゃん連れも多く、生活のしやすいエリアです。個人でやっているような、地元に根付いた素敵なお店(カフェ・レストラン・ワインバー・お肉屋・パン屋・ジェラート屋etc.)が多く、ロンドン=都会とは言うものの、人の温かみを感じることができる街です。お店が立ち並ぶ通りには緑やベンチもあって、活気はあるけどおしゃれで落ち着いている、東京でいう「自由が丘」のような雰囲気もあります。一方、ロンドン生活のネガティブになりうる点を挙げるなら、家賃・物価が高い、硬水である(ブリタ浄水器は必須アイテム)、冬にボイラーが故障してお風呂のお湯が出なくなる(キッチンで沸かしたお湯+ペットボトルに穴を空けた手作りシャワーが活躍)、あたりでしょうか。ただ、慣れるとトラブルに対して「困る」という感覚はなくなると思います。

私は単身で渡英しましたが、縁あって2021年12月に日本で結婚し、2022年4月にパートナーが渡英、現在は二人で暮らしています。彼女のビザ(dependant visa)については、私のビザ(Tier 1)に帯同する形で取得しました。当時の情報になりますが、帯同ビザの必要書類として重要なものは婚姻証明のみで、それほど複雑なプロセスはなく、アプリケーションのほとんどがオンラインで完結しました。一方で、イギリスの他のビザと同様に、時間とお金(申込料 + 保険料)はそれなりにかかりました。保険料については人数x年数で支払うため、ご家族で移住される方は請求金額に驚くかもしれません。帯同者が就労できるかどうかは、国やビザの種類によって異なりますが、イギリスだと基本的には認められているようです。彼女は日本でIT企業のデザイナーとして働いていましたが、こちらではフリーランスデザイナーとして、日本のクライアントとリモートで仕事をしています。最近では地元のパン屋さんでパートタイムジョブを始めたり、他の日本人研究者(+彼らのパートナー)らと食事に出かけたりすることで、外部とのつながりも拡がりつつあります。家庭/家族以外との社会的なつながりを持つことは、彼女のウェルビーイングのためにも重要だと感じています。

文化

ロンドンには素敵なパブがたくさんあります。パブ文化の好きなところは自由なところです。パブで集まりがあるとします。お会計は基本的に注文ごとにその都度支払うため、いつ来てもいつ帰ってもいいし、飲んでも飲まなくても、食べても食べなくてもいい、というflexibilityがあります。なんなら参加するのも参加しないのも自由です。誰が来て誰が来ていないとか、他人のことはいちいち気にしません。個人にはそれぞれ事情があるし、プライベートの時間を大事にしようという風潮があるからです。「多様性を尊重する」と聞くと、なんだか大げさな感じがしますが、大切なのは「選択肢があること」だと思います。パブでは個別会計だとか、例えばレストランでは必ずベジタリアン/ヴィーガンメニューがあるだとか聞くと、なんだかスケールの小さい話に感じる人もいるかもしれません。が、日本で議論にあがる多様性に関する話題についても根底にあるものは同じで、重要なことは「個人が選択できる」「選択が周囲に受け入れられる」「選択にお互いが干渉しすぎない」ということだと個人的には思います。

「日本人は親切だ」とよく耳にしますが、ロンドンにいる人たちもまた親切です。高齢者の方や妊婦さんには席を譲ったり、(エレベーターのない)駅の階段でベビーカーを抱える人には手を貸したりするのが普通です。ロンドンで生活していて気づいたことは、言語や文化的背景が違っても、人間の持つ感情や、根本的な部分は大して変わらない、ということです。つまり、他人に対してリスペクトを持って親切に接していれば、それはまわりまわって自分に返ってきます。そしてその逆もまた然りです。基本的には褒める文化(ナイストーク!ナイスヘアカット!)で、少なくとも私の周りでは、噂話や誰かの悪口を言う人をほとんど見かけたことがありません(なにかを直接complainする人はたくさんいますが)。「なんとなくツイてない、うまくいかない」ということが重なる時が(海外生活では特に)あると思います。そんな時こそニコニコ余裕を持って、できるだけ他人に親切に過ごしていれば、ちょっとずつ歯車が良い方向に回り出したりもする、というのが私の心がけているライフハックです(もちろん問題解決には具体的な行動が必要ですが)。

おわりに

“Any explanation or logic that explains everything so easily has a hidden trap in it. I’m speaking from experience. ... What I mean is don’t leap to any conclusions.”

ちょうど読み進めていた小説(Sputnik Sweetheart)で、思わず目に留まった言葉です。ロンドンで学んだことのひとつは「ある物事について、立体的に観たり考えたりすること」です。結論めいたものや、イエスかノーかよりも、その背景にあるもの(そしてそれを理解しようとすること)の方が重要な場面が、数多くあります。それは、文化や価値観の異なる土地で生活し、「予想外のできごと」「驚き」「失敗」を通じて学んだことだと思います。こちらでの研究環境や生活について、なんとなく雰囲気良さげに書いてみましたが(実際にはトラブルの連続です)、今の仕事がまとまったら、次のポジションは日本で探そうと考えています。自分やパートナーの家族が日本にいることや、今まで学んできたことをサイエンスや教育を通じて日本で還元したい、と思うようになったことが理由です。最後になりますが、今回の執筆の機会をいただいた、大澤志津江先生、丹羽隆介先生、平林享先生にこの場をお借りして御礼申し上げます。

※もし留学に関して質問のある方がいらっしゃいましたら、なんでもお気軽にご連絡いただければと思います。
@Cafe Coffeeology (2023)
@Lab day out (2021)
2022.12.21

おすすめの教科書・書籍6〜10

発生生物学および関連分野の知識を学ぶのにおすすめの教科書を紹介します。

6. 長田直樹 著「進化で読み解くバイオインフォマティクス入門
一言で言うと、明日から始めない人のためのバイオインフォマティクス入門。手法の生物学的背景から丁寧に解説。進化を題材として取り上げており、発生生物学研究者の興味にも合いそうです。明日から始めたい人のためのバイオインフォのハンズオン本は坊農秀雅さんらが編集されたものなど良書がいくつもありますが、手法の背景からじっくり学べる本書はそれらと相補的な内容です(杉村薫
https://www.amazon.co.jp/%E5%9D%8A%E8%BE%B2%E7%A7%80%E9%9B%85/e/B078N6R6P8

7. Nicholas. I. Fisher 著「Statistical Analysis of Circular Data」 
Arthur Pewsey, Markus Neuhäuser, and Graeme D Ruxton 著「Circular Statistics in R」 
角度データの平均を計算するのに単に足して割っていませんか?角度データの分散って?形態データを多く取り扱う発生生物学。10年前と比較して、角度統計は普及した感もありますが、学部生や修士学生で馴染みがなければ、一読の価値ありです。(杉村薫

8. Scott F. Gilbert, and David Epel 著「生態進化発生学―エコ‐エボ‐デボの夜明け」 
共生とエピジェネティックスをキーワードにして数多くの文献を読み込んだ著者が多彩な実例をもとにこれからの生物学、発生学、進化学を論ずる。生物は孤立した存在ではなく環境と、他の生物とが合わさったファミリーとして生存と発展を遂げているのだ。(林茂生

9. Lewis Wolpert, and Cheryll Tickle著「Wolpert発生生物学」 
S. Glibertの“Developmental Biology”と双璧をなす発生学の定番教科書。主著者のL. Wolpert博士は肢芽を用いて様々な概念を提案した発生学者。実験発生学的な視点で、動物の発生をわかりやすく解説。現在第6版で、4版は武田洋幸・田村宏治監訳の日本語版もある。講義用に図の電子版が公開されているのは教員にとってうれしい。(武田洋幸)

10. 佐藤純 著「いますぐ始める数理生命科学 - MATLABプログラミングからシミュレーションまで -」 
多くの数理生物学の書籍において、数式をどうやってコンピューター上で扱えば良いのか、どうやってシミュレーションしたら良いのか、ほとんど説明されていないことが多いと思います。この本では全くの初心者がプログラミングの初歩から始めて、具体的な生命現象の数理モデルを構築し、シミュレーションを行うことを目標としており、生物系の学生の方々に最適だと思います。(佐藤純
実験発生生物学と数理生物学の融合研究を精力的に進めている著者による数理生命科学の入門書。前半で、Matlabによるプログラミングの初歩的な内容を学び、後半で、Matlabを用いて、さまざまな生命現象のモデルを数値計算するという構成になっています。細胞分化やモルフォゲンなど、発生生物学者にとって馴染み深いトピックが取り上げられており、初学者が直感的に理解しやすいように工夫されています。(杉村薫


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2022.12.21

倉谷滋のお勧め<まとめ第3弾>

倉谷滋先生お勧めのクラッシック論文を紹介します。

21. Goodrich, E. S. (1915). Memoirs: The Chorda Tympani and Middle Ear in Reptiles, Birds, and Mammals. Journal of Cell Science 242, 137–160.
これは典型的な比較形態学の論文。だが、発生パターンの違いが重視されている。動物によってこんなにパターンが違うのかと認識させてくれる。

22. Graham, A., Koentges, G. & Lumsden, A. (1996). Neural Crest Apoptosis and the Establishment of Craniofacial Pattern: An Honorable Death. Molecular and Cellular Neuroscience 8, 76-83.
菱脳の分節構造のうち、第3,第5のロンボメアが神経堤細胞を発するのかどうか、90年代、これがニワトリ胚発生研究の領域で大問題になったことがある。なぜだろうか。科学論争の本質を知るためにも興味深い。

23. Hogan, B. L. M., Thaller, C. & Eichele, G. (1992). Evidence that Hensen's node is a site of retinoic acid synthesis.Nature 359, 237–241.
この論文が書かれた一部始終を私はそばで見ていたが、そのときの経験がのちに非常に役に立った。90年代のいわゆる「発生生物学の黄金時代」を象徴するような心意気の論文と言えるかも知れない。

24. Jeffery, W. R., Strickler, A. G. & Yamamoto, Y. (2004). Migratory neural crest-like cells form body pigmentation in a urochordate embryo. Nature 431, 696–699.
Gans & Northcuttによる「New Headセオリー」は、神経堤とプラコードが脊椎動物を定義すると述べ、結果、神経堤の起原を極める研究が脊椎動物の起源を語ると認識された。その一方でその前駆体がホヤに存在するという研究が相次いだ。その最初のひとつがこれ。

25. Jollie, M. (1981). Segment Theory and the Homologizing of Cranial Bones.The American Naturalist 118, 785-802.
脊椎動物頭蓋要素の発生起源は動物によって違うのか。その背景にどのような予測があったのか。古典的な比較形態学的コンセプトの終着点を示す論文のひとつだが、それが正しいというわけではない。

26. Kuntz, A. (1910). The development of the sympathetic nervous system in mammals. Journal of Comparative Neurology and Psychology 20, 211-258.
一言でいうとKuntzによる一連の論文は、組織発生学的に末梢神経系の発生を推論したもので、ほぼ正しくそれらが神経堤に由来することを見抜いている。実験発生学が明らかにしたのは、彼の観察眼の正しさだったのかも知れない。

27. Langille, R.M. & Hall, B. K. (1988). Role of the neural crest in development of the trabeculae and branchial arches in embryonic sea lamprey, Petromyzon marinus (L). Development 102, 301–310.
ヤツメウナギ幼生の軟骨頭蓋の一部が神経堤に由来すると述べた論文。今にして思うと、これは進化発生学が勃興する前になされたユニークな試みだった。が、この動物の梁軟骨はいまでは中胚葉由来とされている。

28. Le Lièvre, C. S. (1978). Participation of neural crest-derived cells in the genesis of the skull in birds. Development 47, 17–37.
鳥類胚の頭蓋の由来については1993年のCouly et al.が引かれることが多いが、ここにあげたLe Lièvreの知見がNodenの見解に近いことはあらためて注目すべきだろう。この論文の中のmesectodermとは、ectomesenchymeのこと。

29. Lufkin, T., Mark, M., Hart, C. P., Dollé, P., LeMeur, M. & Chambon P. (1992). Homeotic transformation of the occipital bones of the skull by ectopic expression of a homeobox gene. Nature 359, 835–841.
Hox遺伝子のKO実験が興味深い表現型をもたらしていた真っ盛りの論文。ある意味、典型例と言える。脊椎動物頭蓋のうちでも後頭骨はもともと椎骨であったものが変形して頭蓋に二次的に組み込まれたものとされる。進化とメタモルフォーゼを学ぶのに最適。

30. Mallatt, J. (1984). Early vertebrate evolution: pharyngeal structure and the origin of gnathostomes. Journal of Zoology 204, 169-183.
ヤツメウナギの鰓葉は軟骨支柱の内側にあり、サメのものは外側に結合している。ならば鰓弓骨格は両者において相同ではない?あるいは、神経堤細胞が移動と分布を変えたのか?相同性を発生学的に読み解く第1歩としてお奨め。

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2022.09.02

海外便り№14 浜崎伸彦さん(University of Washington)

浜崎 伸彦
University of Washington
アメリカのUniversity of Washingtonに留学中の浜崎伸彦と申します。アメリカのシアトルの大学といったほうが伝わりやすいかもしれません。こちらではシングルセルほにゃららだとか、リネージトレーシングだとか、ハイスループットアッセイだとかの現場にポスドクとして2年間働いてきております。本題に入る前に、発生生物学会という個人的にも思い入れのある学会において、執筆する機会をいただきましたこと、特にご推薦いただきました中村輝先生と大澤先生に御礼を申し上げます。

早速、本題へ。

発生生物学会の若手のために海外留学記を、と言われ快諾したものの、何を書くべきか。なにか書き始めなければ。でも何を書けば良いのか、よくわからない。そもそも発生生物学会の若手の求めるものは何なのか? アカデミアでの成功? とにかく面白い研究を突き詰めたい? はたまた単に海外生活を覗いてみたい? よくわからない。いろいろと考えてみたものの、いわゆる海外サバイバル術などはもう列挙されているし、今更追記することなどないのではないか。要は良いラボを選び、良いプレーヤーでいれば基本的には幸せになるだろう。生活面では治安と気候がよければよかろう。そうだ、ここらへんから書き始めればよいではないか。まず、良いラボの条件とは、お金があることである。いきなり身も蓋もないが事実である。ポスドクは自身の才能を伸ばすための期間である。お金がないからあれもこれもできないと縮こまるようではどんな才能も伸びようがない。良いラボの2つ目の条件はいいPIである。良いPIとは、サポーティブであり、モチベーターであり、良い研究を進める方法を知っていて、それでいて自由に研究をさせてくれて、業界内でも評判がよく、人として尊敬できる、そんな人物である。そんなPIがこの世に存在するもんかと言われれば、確かに存在する。私のポスドク時代を振り返ると、二人のボスはどちらもそうだった。少なくとも私にはそう見えている。良いラボの条件その3は同僚である。本当に良いラボにはいい人材が集まる。持論だが人は周りの環境に合わせるように成長する。もしあなたが周りのレベルが高すぎて、やっていけるのかと不安になるような場所を見つけられたら、そこはあなたが最も成長できる場所である。ぜひそこに入り込めるよう全力で挑むとよいだろう。まとめると、良いPIがいて、良い同僚研究者がいるお金持ちラボである。うーむ、自分でも驚くくらい身も蓋もない。

次に良いプレーヤーの条件である。むしろ私に教えてほしいくらいだが、真っ先に思い浮かんだこととしては、

"守破離を意識的に使い分けられる"である。

守破離とは、"日本において芸事の文化が発展、進化してきた創造的な過程のベースとなっている思想で、そのプロセスを「守」「破」「離」の3段階で表している" (Wikipediaより引用)

守破離を研究にあてはめると以下のようなものか。

守...既存の方法/学説を学び、模倣する

破...自分の考えに合うようにアレンジする

離...新しいコンセプトの提唱

例えば、あなたが新しい研究を始めたとする。研究の世界では、ある分野に精通していても少し離れた分野のことについては全くの素人。こういった場面では"守"から入る。受験で培った教科書で学ぶ方法も大事だが、学ぶの語源が真似ぶにあるという説から分かる通り、エキスパートがいるなら、アドバイスを受けに行ったほうが断然効率が良い。ここで問題なく基本的なことを再現できるレベルまで到達することを目指す。次に"破"について。教わったやり方の原理を深く理解し、試行錯誤しながらより良いものを目指す。この段階では、教わった手順や材料を変更することも厭わない。よくあることとして、教わったやり方を変えたくないという人がいる。恐らく失敗をしたくないのだろう。ただ、これでは教わったやり方や考え方を模倣して再現し続ける実験ロボットでいいではないか。そうではない、我々は人類未踏の領域を危険を承知で歩んでいくからこそ、人智の蓄積に貢献できるわけである。自分が居心地の良い現状に満足し、固執していることに気づくことが"破"の第一歩である。そして、"破"を繰り返し、失敗と成功を積み重ねていくと、自ずと失敗と成功の奥に透ける共通性、即ち自然法則が見えてくる。それが"離"の種である。ここから派生するものはすべて独創的なものとなる。
この順番こそが肝であり、今自分がどこのステージにいるのかを自覚した上で一歩ずつ進んでいけば、自ずと研究者にとっての"離"、すなわち研究者としてのアイデンティティが確立されていくのである。

守破離を滞りなく進めるために必要な能力は、常識と論文を疑う思考力、すぐにトライする試行力、そして、やらなくていいことを見極める不動力である。まあ平たく言うと、やる前によく考えて、やるべきことだけに集中して、まずはやってみるといったところか。いずれにしても良いプレーヤーはこうしたプロセスを意識的、もしくは無意識的に行っているように見える。

上記のように、プレーヤーとしての研鑽を積むのは重要だが、留意すべきことがある。華々しいCVを得るための最適行動と素晴らしい研究者になるための行動が必ずしも一致しないことである。どちらか一方でも大変なことだが、それを"両立する"戦略が必要である。また、アカデミアに残りたい人はいつかはマネージャー職 (教授職など)につく必要がある。プレーヤーとマネージャーで求められるスキルには乖離があることは周知の事実なのでプレーヤーのうちにマネージャーのスキルを積極的に取りに行ってもらいたい。

さて、なんだかんだ書いてみたものの、実際の留学中の過ごし方として、とにかく目一杯、精一杯、楽しんでもらいたい。研究面では日本ではありえない経験(良くも悪くも)を積めるだろうし、発生生物学の国際的潮流と日本の立ち位置も見えてくるだろう。いつか別の機会があればこちらについても述べたい。文化面ではアメリカに関しては好き嫌いが分かれるところだろうが、個人的には人と違うことが当たり前という文化が好きである。日本は人と同じことが当たり前 (否、同じであることが求められる)という側面が強いので、まるで正反対である。アメリカでは単純に同調の努力がない分、楽に生きていくことができる。もちろんこちらのこれは言わなくてもわかるだろうという期待が見事に空振りすることも多いが...
良くない点としては、医療制度、ビザ、税金など本当に同じ国かと思うほど非効率的な部分もあるが、そこを許容できるかどうかがアメリカを好きになるかどうかの分水嶺だと思う。また自然も豊か、というより、日本がコンクリ天国という異常事態だということにも気づく。そうそう、働く場所を選ぶ自由というのはPh.D courseもしくはPostdocの期間くらいしかない。そこに住んでみたかったから、というのも素晴らしい理由だ。


最後になるが、留学したいと口にするが、結局留学しない、通称"留学したいしたい病"の人は数多く存在する。断っておくが、私は留学経験があるから偉いとも思わないし、留学自体が目的というのは違うと思っている。それでも無責任にこれだけは言っておきたい。あなたの留学しない理由はこれから更に湧いてくる。大事なことなので、もう一回言わせていただく。あなたの留学しない理由はこれから更に湧いてくる。一回きりの人生、やらない理由を貯めてため息を付きながら愚痴るのはやめて、まずは気になるラボにメールしてみればいい。たったそれだけでいい。運良くinterviewに呼ばれれば、現地を見に行く(旅行の)チャンスだし、たとえアクセプトされなくてもトライはしたのだから、自分の気持ちには折り目がつくだろう。結局自分が数年後、数十年後、晩年、後悔しなければいいのだ。

それではみなさん、良い人生を。
2022.07.29

海外便り№13 佐奈喜祐哉さん(Institut Curie)

佐奈喜 祐哉
JSPS 海外特別研究員
GENETICS AND PHYSIOLOGY OF GROWTH team
Institut Curie, Paris, France
こんにちは。フランス・パリのキュリー研究所でポスドクをしている佐奈喜です。 博士課程は京都大学生命の井垣達吏先生のもとでショウジョウバエ遺伝学をゼロから叩き込んでいただき、2018年からショウジョウバエ研究の巨匠とも言えるピエール・レオポルドのお世話になっています。4年目にもなると、私の中での海外研究生活の魅力やノウハウが見えてきたように思います。そこで、この海外だよりを読んでいる(おそらく研究留学についての情報収集を目的としている)方に向けて、本稿の前半では海外留学のケーススタディーを、後半ではフランスでの研究生活で得られたものについて紹介したいと思います。
海外留学ことはじめ
慣れ親しんだ母国を離れて海外留学を目指すとなると、高い心ざしで研究に打ち込むぞとの気合に満ち溢れているかと思います。研究留学をより充実したものにするために(トラブルを回避するために)は、小さなTipsが重要なように思います。海外留学を3ステップに分けたモデルをもとに、どうやって海外留学を始めるのか、どうすればベストの海外留学になるのかを考えていきたいと思います。
海外留学ことはじめ

慣れ親しんだ母国を離れて海外留学を目指すとなると、高い心ざしで研究に打ち込むぞとの気合に満ち溢れているかと思います。研究留学をより充実したものにするために(トラブルを回避するために)は、小さなTipsが重要なように思います。海外留学を3ステップに分けたモデルをもとに、どうやって海外留学を始めるのか、どうすればベストの海外留学になるのかを考えていきたいと思います。
①行き先を決める
 たとえ海外に行ったとしても、興味のない研究をしていては得られるものも少ないでしょう。行き先は、あなたのやりたいことのできる研究室レベルを選び出しましょう。アメリカは、サイエンスの中心と言われて目立ちますね。私も修士課程のころは、いつかはアメリカで研究をしてみたいと考えていましたが、自分の興味とベストフィットして、ご縁もあったことからフランスのピエール研究室を選びました。今までアメリカに行くために英会話を勉強してきたのに、まさかのフランス。失礼なことですが、行く前はフランスのサイエンスで大丈夫だろうかという心配もありましたが、結果としてはこれ以上ない大成功で、経験豊かなPIや興味を共有できる同僚から刺激を受けてプロジェクトを進めていけるのは楽しいことこの上ないです。
 充実した海外留学を送るために、早いうちから自分の興味に任せて論文を読み漁り、これぞと思う研究を続けているラボのリストを作っておきましょう。もし、これといってそそられる研究室が見当たらない場合は、先輩や先生にどのラボや論文が好きか聞いてみるのも良い手だと思います。自分の知らなかった面白い研究分野が見つかるかもしれません。
 行きたいところが定まり、学位取得が見えて来たなら、あとは当たって砕けろです。自分でメールを出してみる、学会で話しかけてみる、所属研究室の先生を通して探ってみるなど色々コンタクトの方法があると思います。向こうのラボのタイミングもあるので、断られても気にせずどんどん次の候補に移りましょう。もし、先方からも興味が示されると、CVと推薦書(2-3通)を送り、セミナー及びインタビューがセッティングされると思います。これまで頑張ってきたトークスキルや研究成果を存分に発揮してください。
ちなみに私の場合は、上村匡先生がピエールをセミナーに招待した時に、上村ラボの所属でもない私に昼ごはんに同行する機会をくださったことがきっかけでポスドク先が決まりました。巨匠ピエールの横でめちゃくちゃ緊張しながら刺身定食を食べていると、おもむろにピエールが「ポスドクを探している」と言い、私が「あなたのラボに行きたい」と言ったら決まりました。二言三言で決まってしまい、その後は刺身定食に付いていた日本式コロッケがうまいという話になったように記憶しています。さすが巨匠、度量が違うなと思いますが、こんなラッキーもあるので興味のあるラボ候補は常に考えておく、機会があればすぐに手を上げるよう心の準備をしておくと良いかもしれません。
②フェローシップ
 他の海外だよりでも触れられている通り、フェローシップの取得は歓迎されます。申請書を書くこと自体がトレーニングなので、たとえラボの研究費で雇われていても、チャレンジがしてみると良いと思います。私の場合は、1年目の海外学振は落とされ、ラボの研究費で養ってもらう間に結果を蓄え、2年目のチャレンジで無事に取ることができました。主なフェローシップは、海外学振・HFSP・Marie Curie・EMBO・渡航国先のグラント・日本からは内藤・上原・東洋紡・第一三共などが応募候補だと思います。海外学振以外は、学位をとった国からの移動が必須、共同研究実績がある研究室を行き先として認めないなどの制限や、学位取得後X年以内、移動してから2年目の応募不可など、さまざまな制限があるので注意が必要です。私はポスドクの間までに学位論文のためにピエール研究室と共同研究をしていたので海外学振しか選択肢が残されていませんでした。
海外学振はこちらでもユニークな制度なようで、一国が行き先の制限なくどの国でも研究生活をサポートする制度は他に見当たらないようです。マリーキュリーならヨーロッパ国内、HFSPなら参加国内など、多くのフェローシップには活動場所の制限がつきものですが、日本人なら行き先は問わず研究のために潤沢な資金を出してくれる海外学振は、とても恵まれているチャンスで、ありがたい限りです。ただ、海外だよりNo 11の川口さんもおっしゃられているように、手取りが半分になってしまうことがあります。海外学振に限らず、勤務先によっては雇用契約を結ぶ必要がり、社会保障や税金が引かれるためフェローシップ要項に記載されている額の半分が手取りとなることがあります。面白いことに、フランス国内であっても勤務先(大学や、ラボへの入室登録ない研究分野など)によっては雇用契約を求められず満額を手に入れられるようです。極めてケースバイケース、かつ今後制度が変わる可能性もあるのでフェローシップ応募前には必ずPIや事務に確認しましょう。もし、私のように手取り半分以下になったとしても快適に生活できます。その悔しさをバネに、より良い研究を目指していきましょう。
③プロジェクトを進める
さて、無事にポスドクを始めることができれば、あとはこっちのものです。フランスを含めて海外では日本と比べて分業や外注が整っているので、多くの時間を実験に注ぐことができます。NGSをセットアップし、インフォマティクスの人に解析してもらい、得られた知見からプロジェクトを進めていくことが一つの王道パターンのように思います。スクリーニングや新しい現象を探す最初のステップが大幅にスピードアップできるので、とても合理的で着実なプロジェクト進捗が期待できます。一方で見方を変えると、貴重なサンプルから面白いことを発見するのはインフォマティクスに任せて、解析結果という名の指示が飛んで来るだけのようにも感じます。更なる解析の組み立てはウエット研究者の腕の見せ所ですが、なんだか見逃していることが多いような気がしてなりません。データの元になった生命現象は実験者だけが生で見ていて、長年の積み重ねにもとづく細かい感覚はあなたにしかありません。効率的に進む共同研究ではスピードに圧倒されてしまいますが、パイプラインの吐き出すデータから何かを掘り出す探索こそがウエット研究者の経験が光るポイントだと思います。せっかく海外に来てまで追い求めている何か面白いことが、いつの間にかただの作業にならないように頑張りましょう。
④ポスドクからその先
 理想的な環境で研究に打ち込んでいると、あっという間に数年が過ぎます。ポスドクは一生続けるものではなく、次のポジションにつなげなければならない現実を忘れそうになります。ある日突然、事務から「この国の法律で期限付き雇用は6年以上認められないので、来年は契約更新ができない」とメールが来るかもしれません。ある日突然、ボスから「ラボを再編したいのでお前はやめろ」とのお声がかかるかもしれません。青天の霹靂はいつも突然やってきます。備えあれば憂いなし。ポスドクを始めたら、少しずつ次のキャリアについて考えなければなりません。ここでは、フランスで見つけた日本にはないキャリアパスを紹介します。
フランスの研究予算配分機関にはCNRSやINSERMなどがありますが、日本と異なるのは予算配分機関が多くの研究者の雇用元になっている点です。その例として、海外だよりNo 2の後藤さんがINSERMのパーマネント研究者というポジションを獲得されていますね。パーマネント研究者は、別途PIポストに採用されればPIになれるし、気に入ったラボがあればPIにならず好きなだけ研究に打ち込むことができる面白いポジションです。予算取りや雑務はPIに任せ、プロジェクトに専念できるポジションはとても魅力的に見えます。ラボにとっても、経験豊富で長期間に渡り複数のプロジェクトを牽引してくれるパーマネント研究者は、とても貴重な人材なようです。また、パーマネントエンジニア(技官)と呼ばれるポジションも用意されています。技官と言ってもPhD取得者で、一つのプロジェクトを進めるよりも、実験そのものが好きな人が目指すポジションのようです。ラボ内のプロジェクトをあらゆる面でサポートしてくれる、心強いラボの救世主です。私も実際にパーマネントエンジニアの方と一緒に仕事をさせてもらう機会に恵まれましたが、とても優秀です。日本でいう助教以上の経験値の方に実験を任せられる、もしくは実験を教えてもらえることが、いかにプロジェクトの推進剤になるかは容易に想像できると思います。このパーマネント研究者・エンジニアというポジションはヨーロッパでも珍しいようですが、ラボのノウハウの宝庫であり生産性の要になっています。ちなみに、国の機関で雇用されているので、家庭の事情など理由は問わず国内の好きな大学やラボに転勤することができるという、ライフワークバランスの面でも非常な魅力的なポジションです。採用はナショナルセレクションになるので狭き門ですが、毎年各分野で若干名ずつ採用されているようです。海外では日本と異なるシステムが色々とあるので、留学によって理想の働き方が見つかるかもしれませんね。どの国であれ、日本との違いを身をもって知れる留学はその後の研究人生の貴重な糧になると思います。あまり臆せず、外に飛び出してみてはいかがでしょうか。
海外留学で得られたもの
 私が海外留学を考え始めたのは学部3年か4年くらいだったと思います。聞き齧った話や周りの先生がたの経歴をみて、学位取得後はアメリカに行くものだと思っていました。博士課程になっても、まあ学位を取ったらどこか外国でポスドクをしようくらいにしか考えておらず、何か目標があったわけではありません。実際に、いざフランスに発つタイミングになっても、海外留学するという意義を見出せず、巨匠ピエールと一緒に働いてみたい、良いワインをいっぱい飲みたいくらいしかフランスに行く意味は思いつきませんでした。4年経った今でも、日本のラボとは違う文化や思考で研究が進むことを体験しましたが、海外は素晴らしい!日本のラボはダメだ!のような鮮烈な印象を得るには至っていません。どちらにも良い面と悪い面があるなかで、日本のラボも海外のラボも学生やポスドクとして働くには満足でした。
ここまで書いてみると、特に目標なく海外に行ってしまうと異文化に触れる機会にしかならないように思えますが、私にとっての海外留学ハイライトはピエールと働けたことだと思っています。巨匠なだけあり、日本人もびっくりの長時間労働でフランスアカデミーや研究所の仕事をされるなかでも、実験結果を聞くと「面白いね!次はどうするか?」と気持ちよくディスカッションしている姿を見ると、彼にとってサイエンスがいかに大きなモチベーションなのかと思い知らされます。俗にサイエンスへの情熱が強いPIは人間性を失っているということがあるかもしれませんが、ピエールはサイエンスの厳しさよりも楽しさに重きを置いているようです。この姿勢は、一生見習わなければならないと気付かされました。サイエンスへの情熱だけでなく、彼の人柄を伺わせるエピソードも事欠きません。どれだけ大量の仕事を抱えていてもラボメンバーや研究コミュニティに対してとてもサポーティブで、プロジェクトやキャリアパスだけでなく、頻発するさまざまな事務的トラブルに対しても、とても親身に時間をかけて話し合い、鮮やかに(時には苦労を重ねて)解決してみせる姿は心打たれるものがありました。この辺りは海外だよりNo 5の堀さんの記事と重なるものがあるかと思いますが、この人と働けたからこそ自分の中のロールモデルが激変したという経験はなかなか得難いものだと思います。もちろん日本にも多くの素晴らしい先生がいて、博士課程でお世話になる先生がロールモデルの中心になるだろうと思います。ただ、研究者は世界中にいます。日本にとどまり、隣の人と似たようなロールモデルしか持てないのも少しもったいないような気がしませんか?母国の日本で得られた経験と、好きなところに飛んでいって得られる経験をミックスしたオリジナルのロールモデルが出来上がってくるのは楽しいものです。ぜひ、海外留学にチャレンジしてみてください。
2022.07.01

海外便り№12 石東博さん(The University of Potsdam)

Institute of Biochemistry and Biology
The University of Potsdam
Junior research group leader (Academic Staff Member), Dongbo Shi
https://drshilabo.wordpress.com
ドイツのポツダム大学というところで独立して研究をしています石東博と申します。私自身も時折参考にしていた本欄にお誘いをいただき、経験を共有することで少しでも読者の方に役立てることがあればよいなと思い、筆を執ることにしました。博士号授与からもう(まだ?)7年。就職した同級生たちがマイホームを建て安住を始めている中、私(たち家族)の人生はまだまだふらふら五里霧中という感じで、不安がないわけではありませんが、好きなことを職業にして日々を楽しく過ごせる現在に、私自身はひとまずのありがたさを感じています。私自身は。。。

・日本からドイツへ
京都大学理学部に入学し、臨んだ入学ガイダンス。理学部のミッションは10年に一度の天才をちゃんと育てることで、去年一人すごいのが出てもうパリに行ったから、君たちはちゃんと卒業してくれればそれで大丈夫と言われて、えらいところに来たなと思いました。特にこれと決めたものはありませんでしたが、ふらふらと生物学、それも発生生物学に誘われました。
 卒業研究から、修士、博士研究と一貫して、上村匡先生(京都大学)の研究室に所属し、実際の研究は藤森俊彦先生(2009年から基礎生物学研究所)のところで行いました。京都は素敵なところでしたが、サークルやらアルバイトやらと様々な誘惑も多く、研究に本格的に打ち込み始めたのは基生研に移ってからでした。小松紘司研究員と一緒に、ほとんど着目されていなかったマウスの卵管の発生を、平面内細胞極性(PCP)の観点から研究を進めて、学位を2014年11月に授与されました。
ビジネスコンテストや企業インターンに参加したり、教員免許も取得したりと、研究一本と決めていたわけではありませんでしたが、一人で勝手に感じていた研究テーマに対する使命感と、「まだ大丈夫」という感触を信じて、博論まで駆け抜けました。もうちょっとやってみるかぐらいの感覚でしたが、振り返れば「あれっ、みんないない!」となっていました。藤森研でポスドクにさせていただいた後も、民間就職にいろいろ応募しましたが、転職扱いとなって、戦略コンサルティング以外のほとんどの企業から良い返事はありませんでした。なるほど、だからみんな卒業前にちゃんと就活するし、コンサルとかに就職するのねと、腑に落ちたものでした。博論までやってから、日本で就活するのは、当時まだ厳しい時代だったようです。
さて、研究の方はすっかり発生生物学のとりこになってしまったので、そのまま続けたいと思っていましたが、博士を取得した直後の自由に動ける機会なので、モデル生物を変えて、そして海外に出てみたいなと漠然と思っていました。卵管の仕事を片付けながら、海外の公募にいくつか応募し、実際面接にもいくつか出かけていきましたが、結果的には全滅でした。その中にはのちに所属するドイツ・ハイデルベルク大学のThomas Grebの研究室も含まれていましたが、植物の経験がやはりあった方がよいということで、面接後に断られていました。所属先の研究費雇用となれば、実動力が求められるのは当然で、なるほど、だからみんな海外学振とかで応募するのかなあと、こちらも腑に落ちたものでした。
2015年にフェローシップに応募しようとなり、海外学振(日本学術振興会海外特別研究員)がまず浮かぶのですが、私の印象だと、申請者のこれまでの研究とのつながりがないと厳しいのかなと思い、生殖管つながりで子宮の発生研究を米国テキサス州で行う申請をしました。一方で、前述のThomasとのやり取りに際して、植物の形成層の勉強をいろいろしていたのですが、どうも細胞レベルの基礎解析が抜けているように感じました。結局マウスのままになっちゃうかもなあと、少し残念に思っていたので、悔いが残らないようにと、形成層の細胞系譜を明らかにするような提案をこしらえて、ドイツのフンボルト財団のフェローシップに申請しました。申請書のCurrent state of researchという欄で、マウス卵管の話を最初書いていたのですが、Thomasから、そこはこれから提案する研究計画の現状を書くところだよと諭され、結局博士研究のことは申請書では何も書けず、業績欄で論文リストに挙げるだけでした。
幸運にも、フェローシップは両方とも採用との通知が届きました。海外学振はもちろんうれしかったですが、新しいことへの挑戦を受け止めてくれるフンボルト財団には懐の深さを感じました。家族での話し合いの結果、ハイデルベルクの方を選びました。ハイデルベルクは以前何回か訪れたことがあり、当時1歳の子供をこれから育てるとなると、こちらの方が良いだろう私たちが思ったのも理由の一つでした。
 
・ドイツでの生活
2016年の6月に家族でハイデルベルクへ移りました。フンボルト財団のフェローシップは2年間でしたが、子連れだと1年間延長でき、ボスの研究費雇用を挟んで、海外学振へと続けて、2021年の6月までと5年間滞在しました。二人目の子供も生まれ、1歳だった子供も小学校に入学し、数えきれない思い出、エピソードがありますが、印象深い点をいくつかだけ紹介します。便宜上
、日本とかドイツとかハイデルベルクとか、主語が大きくなっていますが、私の目で見れたことは限りがありますので、あくまで一例として差し引いて読んでください。
まず、働くこととは何だろうと、いろいろ考えさせられました。ドイツでは、「生活するための給与を稼ぐための仕方がない手段」という考えが共有されていると思います。ですので、お金をもらうための、契約上必要最小限の仕事しかしないというのが基本です。雇用者は雇い主のために働いているのであって、顧客のためではありません。ライフワークバランスもなにも、ライフの方が大事に決まってるわけで、サービス残業などもっての他です。閉店時間の17時は、店員が帰宅する時刻であることも多く、閉店間際に店に駆け込もうにも、ドアすら開けてくれないこともしばしばです。顧客側にたつと、最初はずいぶんとイライラしますが、段々慣れてくると、こちらの方が、日本のようにアルバイトにまで責任感やら連帯感、やりがいを求めない分、潔くてわかりやすい気もしてきます。ポスドクに限らず、ドイツの博士課程の学生は有給で、ドイツのシステム上では有期雇用契約です。さすがにここまでドライではないものの、基本的には同じ素地があるようで、関係なく勤勉に(?)働くのはアジア人であることが多いです。
 研究の取り組み方・考え方がずいぶん違いました。研究員は、研究員にしかできないことにできるだけ集中できるようにと、環境やシステムを整えようとしています。そのためには分業で、ルーチンワーク(=研究員じゃなくてもできる作業)をできるだけ他の人にやってもらうというのが基本の考え方です。日本では試薬瓶の洗浄まで自分で何でもやっていたので、随分思想が違いました。サンガーシーケンス一つ例にとっても、外注が基本で、解析する有償ソフトウェアも用意されていて、日本でPCRしてエタ沈して、手作業で塩基配列を確認していたのと比べれば、かかる作業時間は数十分の一でした。外注に限らず、ルーチンワークのためのテクニシャンや、機器専属のオペレーターなどのスタッフが雇用されていて、さらに手間がかかる実験は修士学生などのアルバイトでまかなったりしていました。前述のように、彼らは彼らの契約・仕事がありますので、事前の準備、調整が大事です。日本にいた頃のように、思い立ったら一人で好きな時に実験するわけにはいきません。「あっ、培地滅菌し忘れた」となっても、オートクレーブの時間は決まっていて、次の日まで待つほかありません(勝手にいろいろやるのはトラブルのもとで煙たがれる)。分業にはそれなりの面倒とトラブルも付きまといますが、上手に使いこなせば、一人でやるよりも効率的に進められ、そういった調整能力が博士課程から求められています。
 分業に限らず、効率をよく気にするようになりました。日本だと、理屈が通っていれば、「とりあえずデータ取っておくか」とか、「うまくいかなかったのでもう一回」というのがままあったのですが、ハイデルベルクに来てからは、ラボミーティングで何回かストップがかかったことがありました。コストパフォーマンス(費用というよりかは時間ですが)はそれでいいのか、本当にそれで証拠としての付加価値があるのか(同じことを違う方法で言ってるだけじゃないのか)、違う方法に移った方がいいんじゃないのかとか、やる前から、やるかどうかについてよく議論になりました。論文に載せないデータは取らなくてもいいと言わんばかりの調子で来るので、最初の頃は返答に困ってよくしどろもどろになってました。これはもちろん一長一短で、まだ慣れていない博士課程の学生が頭でっかちになって、一発の実験で成功しようとしてフットワークが重くなるのは見ていてなんだかなあとも思いますが、一般的には事前によく考えることはもちろん大事です。こうやって事前に仕事量を減らし、さらに分業することで、全員9-17時の勤務時間でもなんとか回していけるのかなと思います。現実には、「なんとか」なんていうものではなく、マクロ的には研究資金当たりの研究成果は、近年ではドイツの方が日本のはるか上を行っています1)。解くべき科学的な課題や、立てるクエスチョンによって、向き不向きはあるでしょうし、本当のイノベーションはそういった数値で測れないものもあるのでしょうが、同じ科学論文でも、裏では随分いろいろなやり方があるんだなというのは、大変勉強になりました。なお、そもそも議論好きという側面もあり、ラボ遠足の行き先を一時間議論したけど結果が出ないこともしばしばで、効率のためにやっているわけではないかもしれません。

・ポスドクから先へ
2019年秋には、高橋淑子総括のJST・さきがけ領域が立ち上がり、一期生の結果が公表されて、知り合いの先輩(?)方の名前がちらほら見えて、これは楽しそうでぜひ参加してみたいなと思いました。調べてみると、採択例は少ないですが、海外でさきがけ研究を実施している例もあるようで、申請するにあたっては特に制限はありません。コロナ渦でラボが閉鎖されていたのもあり、申請書作成にはちょうど良い環境で、前年度の採択率4.1%という厳しい現実をあまり気にせず、悔いが残らないように2020年度に応募してみることにしました。結果はなんと採択で、これには結構驚きました。業績の方も幸運が手伝い、当初フェローシップで掲げたテーマを2019年に、その後Thomasから頼まれたテーマも2021年に、比較的スムーズに論文にすることができました。2016年に種の蒔き方を同僚から習っていたかと思い返すと、感慨深く、少し出来過ぎな気もしています。
ここまで来ると、職探しをしないといけない環境になってきました。ドイツでは、ポスドクは基本的にはプロジェクト研究費の雇用で、自分の研究をするようなポストはかなり少なくなっています。Thomasも、そろそろ今が潮時で、そして売り時で、これ以上ハイデルベルクにいたら君のキャリアのためにはあまりよくないというアドバイスでした。さきがけ制度では、海外では雇用先を自分で見つけてくることになっていて、応募するとなると自分の研究ができるPIポジションしかないような状況になっていました。家族のことも考えると、ドイツ語圏、日本語圏、あるいは英語圏でそういう公募に出すことにしました。ただ、ドイツに来てから分野を変えたのもあり、国内ではほとんど知名度もつてもなく、公募情報を見る限りでは日本であまり応募できるポジションはありませんでした。この辺りは将来を見据えて、国内でのネットワークをもう少し築いておけばよかったなと後悔しています。
海外の応募は、ドイツでの成功例の申請書を参考にして履歴書やプロポーザルを書くわけですが、日本でよく見るような2千字以内でとか、そういった指定はほとんどなく、履歴書の項目も人によってばらばらで、10ページを超えることもざらのようです。アピールしたいだけご自由にどうぞという感じで、ついついテンプレートは無いのかと探してしまう私にはその自由さが新鮮でした。元ボス(Thomas)と程よく距離を離した、新規性がある研究提案をするのが本当は理想で、いろいろ検討・議論もしたのですが、急に考えてもデータがほとんどありません。実現性が乏しいなということで、今回はそこはあきらめて、元ボスと同じような研究を継続するけれども、被らないから大丈夫という方針で進めることにしました。この辺りは、本当は独立を見据えて戦略的に進める方が良かったなと思います。ただ、他の方のジョブトークを聞く限り、研究提案を実現できそうな経験・業績がちゃんとあれば、ドイツでは予備データがほとんどなくとも十分に検討に値するようで、日本とはだいぶ考え方が違うようでした。前述のようにポスドクが自分の研究費を持てずに所属先のテーマをやるのが一般的ですし、私もシロイヌナズナに触ったことがなくてもフンボルト財団のフェローシップに採択されたことを思えば、若者の挑戦を受け入れる環境は十分にあると思います。
申請書を整えてThomasに見せて相談したところ、いの一番に言われたのは、この写真何とかならんかとのことでした。日本で撮った証明写真みたいなものを使っていたのですが、確かに見せてもらったドイツの申請書ではそんなの見たことありません。慌てて知人のつてをたどってプロに写真を撮ってもらいましたが、これが効果てきめん。その後に出した公募はほとんど面接には呼ばれました。ちょうどさきがけの採択や論文受理が決まったタイミングで、その影響が大きいかなとは思いますが、一方で、顔の見栄えがどうのということではなく、これからヨーロッパでやっていくのに、ヨーロッパの文化・システムに適応する準備はできているのかということかなと解釈しています。これから一緒にやっていく同僚を探す時に、もちろん自分の個性は大事にしてほしいけれども、既存のシステム・慣例に目を配る気がない人とは、ちょっとやりづらいと感じるかもしれません。もちろん、突出した業績・構想があれば別なのでしょうが。
ヨーロッパではコンスタントに植物研究のPIポジションの公募があり、ドイツではDFG(ドイツ研究振興協会)のEmmy Noetherプログラム、フンボルト財団のSofja Kovalevskaja賞(海外からドイツへ異動する場合に限定)などもあり、PIになる機会は充実しています。それほどは業績・研究構想が突出していない私でも、何とか目にかけてもらえるのは、こうした機会の多さによるものも多いと思います。また、フェローシップではない通常のポスドク直接雇用が名目上6年までに限られており2)、ポスドク経験後の民間就職も非常に活発で、実際多くの同僚がバイオ系の会社や、出版社などに就職しました。こうした人材の流動性が、結果的には若手PIの機会の充実にもつながっています。ただ、一回はPIのチャンスをもらえますが、ドイツでもテニュアポジションは非常に限られています。大学でのポジションの数は州法によって定められているそうで(出典不明)、簡単には変わらないため、狭き門のようです。テニュアポジションが獲得できるタイミングは限られており、多くのグループリーダーはそのために転出したり、うまくいかないとグループ解散にもなるようです。
さて、面接に呼ばれて、中村哲也さんの海外だよりのように3)複数のオファーをもらっていい条件を引き出してなどと夢見ていましたが、世の中そうは甘くはなく、あと一歩のところでの落選が続き、最後の一歩は大きい一歩のようです。コロナの影響で面接がすべてオンラインになり、丸一日カメラに貼りつくのは大変疲れましたが、面接でいろんな先生方に名前を憶えてもらえ、他の公募に声をかけてもらえるようにもなりました。その縁もあり、テニュアトラックがつかないポジションではありますが、独立して自分の研究できる環境をポツダム大学で見つけることができ、今に至っています。

・ジュニアグループリーダーとして
2022年4月に着任してまだまだこれからというところで、あまり共有できる経験はまだありません。グループのメンバーを増やすためには人を雇用できる研究費が必要で、ドイツでは最も一般的なDFGのindividual research grantを一つ獲得しました。科研費のシステムとはいくつか違いがあり、せっかくの海外だよりですので少しだけ説明します。まず、締め切りが無く、通年申請を受け付けています。応募があったものから順次Reviewer二人に回して、査読を待ちます。査読が返ってくると、分野ごとの審査会が年4回あり、そこで決定する仕組みです。採択率は約35%とのことです。各申請に応じてReviewerを割り振るので、日本のように各Reviewerが公平に数十の応募を一斉に見て、点数をつけているわけではないようですし、直接の審査員も二人しかいませんでした。そういう面で公平さは多少犠牲にはなりますが、効率よく機動的で、私の場合だと2022年1月に申請して、4月には採択の内定が出ました。応募もフレキシブルで、科研費のように各機関に所属して提出する必要はありませんでした。申請当時は家族事情もあり、帰国して理化学研究所の杉本慶子先生のところにお世話になっていたのですが、4月にポツダム大に着任予定でも申請してよいかとDFGの担当者に聞いたら、着任したら研究費が必要なんだから、なんで申請しちゃいけないのと逆に驚かれたぐらいでした。DFG内の担当者も博士号持ちで、研究事情のことはよく把握していますし、博士取得後、あるいはポスドク後に就職先にこのような公的機関は良く挙げられます。
採択された場合も、されなかった場合も、Reviewerそれぞれから、A41ページほどのコメントをもらいました。それに加えて、選考委員会がどのように判断したのかについても1ページほどのコメントをもらいました。ここは良くて、ここは意見が分かれているが、委員会としてはこう考えているから云々が細かく記載されており、査読者の意見がそのまま決定されるわけではない過程がよくわかります。もちろん人がやることですので、反論したいところも、誤解だというところもあるわけですが、そういうプロセスが文章となって公開されることは、申請者側の次につながるので、とても参考になりました。全般的に評価は硬めで、夢を語るというよりは、一つ一つの計画・実験について、十分な理由付けが求められている印象でした。また、各Reviewerが審査する申請書の数が少ないからこそ、十分に時間をとってコメントが書けるのだと思います。コメントに対する反論を加えた申請書の改訂も認められており、私の場合も採択されなかったEmmy Noetherプログラムの申請書を基に、査読コメントに対し反応する形で改訂したものが、今回は採択されました。同僚の話では、研究がうまく進んでいる場合は、更新もできるそうで、DFGの方からぜひ更新しませんかとのお誘いが来るとのことで、研究者と一体となって、科学を推進していこうというDFGの気概が感じ取れます。
科研費のABCのように区分がなく、研究費の上限も明示されていませんが、一般的な目安としては、博士課程学生の3年分の人件費(約2000万円)と3年間総額500万円程度の研究費が基本で、追加で必要なものは、理由付けとともに書き足すようです。十分な理由があれば高額な申請も認められることがあるそうで、私自身もポスドク研究員の雇用を希望しましたが、残念ながら認められませんでした。採択決定後の開始時期も一年以内を目安として自由なようで、適任者が見つかり着任予定に合わせて調整できるそうです。また、正式な決定通知書は5月に来ましたが、審査会が開かれた直後から結果に関する個別の問い合わせは可能でした。細かいところをごちゃごちゃと並べてしまいましたが、年度や金額に縛られず、研究者が使いやすいように設計された無駄が少ないシステムのように私には感じました。
現在は研究グループのWebサイトを作って、公募を始めたところです。皆さんの周りにも海外で植物発生の研究してみたい修士学生がいらっしゃったら、、、とここは宣伝するところではありませんでしたね。きちんと研究グループを作って、研究サイクルを回していけるかどうか、不安もありますが、せっかく与えられた機会ですので、のびのびと挑戦してみたいと思っています。しばらくこれで落ち着いて研究と思っていたのですが、ホストとなっているポツダム大のMichael Lenhard教授は公募情報を随時転送してくれて、「こういうのは出し続けるものだ」とのこと。日本で培った感覚だと、成果が出る前に所属をころころ変えるのはネガティブな印象がありましたが、着任したばかりだとかそういうことは誰も気にしないから、テニュアをとるまでは応募し続けるものだそうです。確かにこれまでの選考でも、新しいところに着任したばかりの方が採用されたりしていました。落ち着きがないというよりは、引く手あまたという評価でしょうか。

・最後に
中村哲也さんの海外だよりのように3)、私も基本的にはもっと多くの日本人が海外での研究を経験してほしいなと考えています。好きな場所で好きなテーマを自由に選択できる職業はそうそうなく、世界共通の科学を生業とする研究者・学生の特権の一つです。ドイツはヨーロッパ中から人が集まって、ほとんど英語ネイティブでもなく、みんな語学コンプレックスを抱えながらやってますので、アメリカやイギリスとは違った環境で、私にはよく合いました。日本でもトップレベルの研究が行われていますし、知りたい知識・技術などは大抵のものが日本でも手に入る時代です。海外に来たから研究が進むとかそういうことではもちろんありません。しかし、科学は人間がやるもので、その背景にはその人となりや、文化、システムがあります。私が経験したこと自体はそこまで珍しいものでもなく、むしろすでに言われていたことに遠回りしてたどり着いた感もありますが、それを知識として読むのと、体験して習得するのとではやはり大きく違うのではないかなと思います。1・2年の留学でもよいですし、でも行くからには永住するぐらいのつもりで飛び込んで、その研究室や国の文化にどっぷりつかる人がもっと増えてほしいなと思います。テニュアポジションまで一直線に駆け抜けるのもよいですが、それだけが研究人生じゃないはずです。まだたどり着いてない者が言うのもなんですが。
ただ一方で、ドイツでの5年間は、ライフがいかにワークより大事かを学んだ期間でもありました。とてもハードワークで優秀な博士学生が、公聴会後のパーティで、私はもっと家族・彼氏との時間を過ごしたいから、アカデミアではなく民間就職すると堂々と言っていたの聞いて、こんなこと言える環境は日本にはないなと思いました。また、多くのヨーロッパ出身のPIが、アメリカのサイエンスは凄いけど、私たちが生活するところではないから戻ってきたと口にしていましたし、様々な異動の理由を聞いてみると、家族事情に行き着くことも少なくありません。もちろん、彼らは十分に優秀で、それを選べるところまでたどり着いたのですが、私自身は仕事に一心不乱に取り組むのが素晴らしく、私生活を仕事に持ち込むなんてという感覚があったので、かなり新鮮でした。
そういう立場からすれば、日本だろうと海外だろうと、老若男女問わず、地位や時間も問わず、それぞれの立場や環境で、できることをやって一緒に取り組むのなら、何でも受け入れるのが、本当のダイバーシティを大事にする研究環境だなと、私自身は思うようになりました。取ってきたデータ、やってきた解析で議論して一歩ずつ進めればいいのであって、他人の生活・人生に踏み入れてまで、実験とか研究とかの話はするものじゃないんだなという感覚がドイツでは普通だったように感じます。激励してモチベーションをあげる指導はありますが、はっぱをかけるとか、叱咤するとか、そんなシーンにほとんど出くわしたことはありませんでした。D論にしたって、本人が学位がほしいから書くものであって、システム上は3年の雇用契約が終わればそれっきりで、指導教官の方から何かするということはほとんどなかったです。また、特に年30日ある休暇は不可侵なもので、病欠とは別に(!)健康に休んで仕事に備える期間であり、「〇〇の支払いがまだなんですけど?」と電話がかかってきても、「担当者バカンス中です」と伝えれば、「それじゃまた来月連絡します」となるのが普通です。日本だと怒られそうですが、その伝票処理を急いできちんとやることに、どれほどの価値があるのだろうと考えるようになりました。
まとまりのない文章になってしまいましたが、ここまで読んでいただいてありがとうございました。世界にはいろんな考え方ややり方がありますが、何も一番優れたところや方法に行く必要もないですし、日本がよいと感じるなら、それで大いに結構だと思います。海外にはいっても行かなくてもいいんじゃないかという、締まりのない落ちではありますが、どこか皆さんのキャリアを考える上で、参考になる箇所があれば幸いです。

1) 科学技術・学術政策研究所 『科学技術指標2021』
https://www.nistep.go.jp/sti_indicator/2021/RM311_00.html
2) Gretchen Vogel, Science, 2021 [https://doi.org/10.1126/science.acx9695]
3) 中村哲也 海外だより https://www.jsdb.jp/blog/article.html?page=145
ドイツ・ハイデルベルクの哲学の道からのThomas Grebラボの遠足時の写真。筆者はカメラマンで映っていません。ドイツ、ロシア、スウェーデン、トルコ、スイス、台湾、イタリア、中国などなどとルーツが国際的です。
面接にまったく呼ばれなかった日本で撮影した履歴書写真(左)と、面接によく呼ばれたプロにとってもらった履歴書写真(右)
ポツダム大学Institute of Biochemistry and Biologyの建物。新型コロナウイルスの影響で、入り口には検査ブースが建てられた。
2022.02.15

海外便り№11 川口茜さん(Institute of Molecular Pathology)

川口 茜
ポスドク研究員
Lab of Prof. Elly Tanaka
Institute of Molecular Pathology, Vienna Austria
ORCID: 0000-0001-7722-0480
初めまして
 オーストリア病理学研究所(Research Institute of Molecular Pathology)のElly Tanaka博士主催の研究室においてポスドク研究員をしております、川口茜です。この度は、阿形清和先生と田中幹子先生にお声がけ頂き、海外だよりを書く機会をいただきました。海外での生活について、形式ばらずに記したいと思います。
 私は現在、有尾両生類(アホロートル)の四肢再生をモデルとし、再生で引き起こされるエピゲノム制御に着目して研究を進めています。今となっては日本を出て7年目に突入しましたが、学位取得の当時は、海外ポスドクなんて想像もしていなかったです。その理由は主に2つ。 (1) 文化が全く違う国に住み、さらに第二言語で生活する自信がなかった (2) インターネットやIT技術の普及により、国外の研究者と連絡を取る、共同プロジェクトを遂行することは容易な今の時代、わざわざ海外の研究室に行かなければできないことはないと思っていた、です。(1) については、もともと適応力が高かったこともあり、文化の違いはすぐ慣れました。言葉については、カタコトの英語でなんとか生きています。(2) については、自信の無さから、やらない理由を見つけて外に出る必要がないと言い訳していたと思います。これについては、最後にもう少し書きます。

なりゆきから現在
 私は長浜バイオ大学で卒業研究を行い(和田修一先生)、修士課程から奈良先端大学院大学の分子発生生物学講座(高橋淑子教授主宰。現京都大学)に入りました。そこで、荻野肇先生(現広島大学)と越智陽城先生(現山形大学)と出会いXenopusをモデルとした眼発生を制御するエピゲノム因子の機能解析に従事し、2014年に博士号を取得しました。
 眼発生の研究プロジェクトとは別に、阿形清和先生が代表をされていた新学術班に荻野先生と越智先生が参加され始めたことが、現在につながる「器官の再生研究」に関わり始めたきっかけです。当時はツメガエルをモデルとして再生研究に関わっていましたが、完全な器官再生能力を可能にするアホロートルのゲノム制御に興味を持ち始めたのもこの頃です。
 アホロートルのエピゲノム制御に興味を持った一方で、当時アホロートルのゲノム情報はなく、ゲノム制御のモデルとしては不向きなモデルだなとも思っていました。そんな折、阿形先生からドイツのElly Tanaka先生の研究室には未発表のアホロートルのゲノム情報があるから、エピゲノム制御やるならあそこしかないと教えていただきました。だからといって、海外で生活するなんて考えられず。しばらくは国内でポスドクポジションを探していましたが、どこにもご縁がなく時間だけが過ぎました。そんな時、転機が重なり2014年に理研に来日していたElly Tanaka 先生と直接会うことができました(これについては、腰の重い私を鼓舞してくれた越智先生の助力があったことを記しておきます)。彼女とはその場で、自分の研究の話をし、さらにポスドク先を探しているのだけどポジションがあるかを尋ねたところ、自分でフェローシップを取ってくるならきてもいいとのことでした。さらに時はたち、2015年の11月からTanaka 先生の研究室(当時はドレスデン・ドイツ)に入り、そして2017年の1月には研究室の引っ越しに伴ってドイツからオーストリアに移動しました。
 2015年に渡航してから、最初に知った驚きの事実は、当時のTanaka 先生の研究室にはエピゲノム研究で使えるほどのゲノム情報がなかったということです。あら、話が違うよね?とちょっと絶望的な気分になったことを覚えています。ということで、本来の目的のエピゲノム制御の研究課題を遂行するべく、当時は新しかったHi-Cゲノムアッセンブリを用いて、アホロートルゲノムの整備から始めることになりました。アホロートルの32Gbという巨大なゲノムアッセンブリは非常に挑戦的で、結局5年の時間を費やして論文にすることができました(PNAS, 2021, co-first author)。このゲノムアッセンブリに費やした時間は巨大ゲノムに挑戦するスキルを大きく向上させ、43Gbというさらに大きなゲノムを持つ肺魚のゲノムプロジェクト(Nature, 2021, co-author) にも貢献することができました。現在は、四肢再生とエピゲノム制御に関するデータをまとめつつ、より発展した形で生物学にアプローチできる、そしてさらに自分が成長できるような次の展開を模索しているところです。

フェローシップを取って研究環境を良好に保つこと
 海外ポスドクを探すとき、自分でフェローシップを取ってくることを条件にするラボは多いです。トップラボにアプライしたいのであれば、なおさらでしょう。ただ、フェローシップの有無は、そこでのポスドクライフを大きく左右しますので、ラボにお金があるないに関わらず出せるフェローシップは全部(日本国内外問わず)出すべきと思います。理由は、1. 自分の資金を持っている最初の1−2年の間に、英語は下手でも研究はできるとアピールする時間を稼ぐこと、さらに2. 資金を獲得する能力のある研究者として評価されることが重要だからです。結果として、自分を取り巻く研究環境を良好に保つことができますし、英語に苦手意識がある大半の日本人には必須です。私の場合、自分で給与を取ってくることが前提でしたので、渡航前に海外学振を含む3つの留学助成に応募し、結果として渡航当初の2015-2017年は2つの留学助成、それらが終わった後少しして2018年に海外学振に採択されました。Tanaka 先生のグラントから給与を出してもらう時期と自分の獲得資金で賄う時期を行ったり来たりしながら今に至ります。
 日本であれば、財団が提供している留学助成や(海外特別研究員(海外学振))は知られていますが、日本国外に存在するフェローシップについては情報が希薄だったりします。どういったフェローシップが存在するのか、それらを獲得することがどの程度現実的なのかについて、行きたい国で働くポスドクに積極的に連絡を取ってみるといいです。ヨーロッパの場合、HFSPやMarie Curie、EMBOといったフェローシップに応募することができます。ただし、これらは倍率が高く、華やかなCVと強力な推薦書を持った猛者達と戦うことになります。一方で、各国の文部科学省に相当するところや所属する研究所が出しているフェローシップが複数存在し、こういったものが実は狙い目だったりします。
 海外ポスドクを探す上で、考慮すべきもう一つのことは、衣食住と社会保障システム等の違いでしょうか。前者については、不安になることがあるかもしれませんが事前に知っておくべき必要はないと思います。どこの国でも生活し始めれば、あとは生き伸びるしかないのでなんとでもなります。後者についてですが、これは国それぞれですので、例えばFacebook 上で運営されているJSPSコミュニティなどに入り込んで、少し知っておくことをお勧めします。オーストリアでの私個人の体験ですが、海外学振を持っていた2年間は学振の給与のうち、48%をオーストリアに納めなければならず、著しく手取り給与が下がりかけました。日本からの留学助成金がスタイペント(いわゆる旅費扱いで、納税の対象にならない)のか、給与として認識されるのかは国によって全く異なり、これはあまり知られていないことだと思います。海外学振は高給取りというイメージがありますが、実は国によるのでご注意を。
 さらに加えておくと、日本とのネットワークは切れない様に意識的に努力をした方がいいと感じます。海外でポスドクをしていれば、必然的に海外でのネットワークは増えていくでしょう。しかし、次のキャリアステップを日本で、と考えている場合はなおさら日本との繋がりを意識した方がいいと思います。例えば、今はオンラインで参加できる学会も増えていますし、時間的・金銭的制約を解消するためにも積極的にこれを利用しましょう。これは意識しておかないとあっという間に浦島太郎になってしまいます。これは私の後悔にもとづきます。


ドイツとオーストリアにおける生活・研究所
 2017年から住んでいるウィーン(オーストリア)は、歴史的にハプスブルク家がドイツ・オーストリア・ハンガリーを統制していた拠点都市で、多くの宮殿や教会が立ち並びます。マリーアントワネットが生まれた王宮も存在しますよ。またウィーン楽団で知られるように、ベートーベンやモーツアルトが宮廷音楽家として活躍した場所ですので、音楽が好きな人は楽しめる街です。ドイツ語圏ですが、様々な人種が暮らす国際的な街なので、どこへ行っても英語で生活することができます。治安は非常によく、一人で夜歩いていても危険な目にあうという話は聞いたことがありません。私も、夜中に一人で走ったりすることもありますが危険な経験は一度もないです。夏は短く乾燥しているため、息苦しくなるほどの蒸し暑さを知っている日本人としては、気温で夏を感じることはありません。夜10時でもまだ昼間のように明るい、公園で友達とビールを飲む、そしてドナウ川で人が泳いでいるのを見ることで夏を感じます。冬は厳しく、16時には真っ暗です。ウィーンでの生活には非常に満足していますが、唯一の不満は、オーストリアビールがドイツビールにも日本のビールにも全く劣ることでしょう。

現在勤務するIMPは、Vienna Bio-centerと呼ばれる集合体の一つです。モデルから非モデルまで幅広いモデルを用いて、本当にあらゆる分野の研究室が存在します。トップジャーナルの常連研究室が軒を連ねており、加えてデスクエリアも研究室内もオープンスペースなので分野を超えて研究室間の交流があることがいい刺激になっています。学生もポスドクも、なんだったらPIも研究の上では平等です。学生がPIと対等に議論しあっているのを見ると、立場は関係なく全員が一人の研究者として研究を進めているなと実感しますね。
 Tanaka 先生の研究室についてですが、現在31名の巨大な研究室です(ポスドク17、博士課程7、修士課程5、技術補佐2)。これだけ大きなラボですが、ラボメンバーはプライベートでも非常に仲が良く、頻繁に夕食を共にしたりPubにも出かけたりしますよ。おおよそのポスドクは1人につき2つから3つのプロジェクトを掛け持っていますし、もちろん博士課程の学生もそれぞれプロジェクトがあります。特にすごいのは、これだけの人数・プロジェクトがありながらも、全ての研究課題が、再生生物学において根本的に解かれていない「大問」を捉えているところです。また、それを維持する研究資金を獲得し続けていること、多様なプロジェクトを概ね全て把握してマネージメントするTanaka 先生の絶え間ない努力と聡明さです。すごい、の一言に尽きます。素晴らしい同僚に囲まれて充実した研究生活を過ごさせてもらっています。
留学しないと見えないことはきっとあるかも
 最後に。冒頭で、海外なんて行かなくても十分だと思っていたと書きました。研究費の大小や機器の違いなど、技術的な側面で日本の研究は規模が小さくなるかもしれませんが、日本人の勤勉さと質の高い技術力・論理的思考力の高さは誇るべきものです。実際には、わざわざ海外の研究室に行かなければできない研究はそこまでないのかもしれません。ただ、ありきたりなコメントですが、やらなかった悔いより、やった後にその先で何かを悔いる方が、多面的な視野で物事を捉える人に成長させてくれる気がします。私自身は、研究キャリア以上に、意味があったと思っていますし、当時の指導教官たちや後押ししてくださった方々、留学を可能にしてくれた財団に心から感謝しています。もし私が日本にずっといたら、留学しなかったことの悔いも感じていなかったかもしれません。だって、見たことがない世界や、知らない経験を後悔することはできないでしょう?だから、ここまで読んでくださった方がいて、その何人かがポスドクや博士課程で海外の可能性で迷っていらっしゃるのであれば、少し前向きに考えるきっかけをお届けできていたら嬉しいです。長々と書きましたが、何かあればご遠慮なく連絡くださればと思います。
2018年、自然史博物館から見下ろしたクリスマスマーケットです。外はすごく寒いですが、甘ったるいグリューワインを友達と飲むのが楽しみなのです。2020、2021はコロナで中止されました。