2025.03.31
岡田節人基金 海外派遣報告書 池田貴史(京都産業大学)
京都産業大学タンパク質動態研究所
池田貴史
池田貴史
“Embryology heaven”訪遊記
“This is the embryology heaven.” Eddy de Robertisが閉会のあいさつで述べた一言が、帰国してしばらく経った今でも耳に響く。たしかに、このシンポジウムは発生学者にとっての楽園そのものだった。
今回私が参加したのは、2024年9月16日から19日の4日間にわたってドイツ・フライブルクで開かれたFreiburg Spemann-Mangold Centennial Symposium。2024年はフライブルク大学のHans SpemannとHilde MangoldによるSpemann-Mangoldオーガナイザーの発見から100周年という記念すべき年であり、それを祝うための特別シンポジウムである。学部生時代の実習で平良眞規先生のご指導を得てアフリカツメガエル胚を用いたオーガナイザー移植を体験し、発生学にはまるきっかけをもった私としては一も二もなくという感じで参加を申し込んだ。最近では発生学への入り口がオーガナイザーという方は少数派かもしれないが、苦労して精密な手作業を習得し、刻々と変わってゆくオーガナイザーの活性(そのせいで美しい二次軸を誘導するのはなかなかむずかしい)を目の当たりにしたことは、いまなお鮮やかな記憶として脳裏に刻まれている。
日本から14時間のフライトでフランクフルトに降り立ち、そこからさらに2時間半の特急に乗ってたどりついたフライブルクは、ドイツ南西に広がる黒い森(シュヴァルツヴァルト)のそばに位置する大学都市である。市街地の規模は小さく、街はずれのシュロスベルク(フライブルク城跡)にのぼると全体が見渡せてしまう(図1)。旧市街の中心には16世紀に完成したフライブルク大聖堂がそびえ、その周りには果物や野菜を売る露店が並ぶのどかさである。今回のシンポジウム会場となったフライブルク大学の大講堂は、ちょうどSpemannが当地に赴任した頃に建設されたといい、たしかな風格を感じさせる建物であった。
シンポジウムの形式は、世界中から招かれた40人のPIが30分ずつ自由に話すというもので、オーガナイザー因子探索と変異体スクリーニングの華やかなりし1990年代から活躍してきた研究者たちが一堂に会し、思い出話をまじえつつオーガナイザーの研究史から現在進行中の研究、さらには今後の発生学が向かうべき方向性にいたるまで多種多様な話題を提供するという豪華なシンポジウムであった。普段の学会でいうPlenary lectureを一度にまとめて40回聞いた感覚である。未発表データも多く含まれていたので個々の内容に踏み込んで書けないのが残念であるが、オーガナイザーの研究史に関する発表内容はCells & Developmentの特集号(Spemann and Mangold centennial special issue. Part I: historical perspective)として公表されているので、関心のある方には一読をお勧めしたい。特に興味深かったのはSpemannがどのようにしてオーガナイザーという概念を着想したかについてのThomas Holsteinの考察で、どうやらSpemannは、ヒドラにおいて類似の実験がEthel Browneにより行われていたことを知っていたという(Holstein, Cells Dev., 2024)。オーガナイザーはMangoldの神技的な移植実験に基づいてSpemannが忽然と持ち出してきた概念であるかのような印象を持っていたが、彼らといえども巨人の肩の上に立って考えていたことを少しの安堵をもって聞いた。
そのほか、いろいろな人が繰り返し語っていたのが、どれだけ多くの概念が原口背唇部の移植というシンプルな実験から着想され(誘導、神経発生、自己組織化…)、それがどれだけ発生のメカニズム解明につながったか、ということで、確かにこれはいくら強調しても強調しすぎることはない点だろう。彼らの時代、発生学研究に用いることができる手法は観察と移植くらいしかなかったわけだが、それに対して現代はあまりにも多くの実験が可能である。今回のシンポジウムでも、細胞移植や胚操作といった古典的手法に誇りをもってこだわる人がいる一方で、オミクス的手法を全面的に採用し、物量作戦で突き進んでいる人も多かった。この100年の間に実験手法の選択肢は大きく広がったが、さて、それらをどのように使えば、移植という一つの手法だけで達成されたオーガナイザーの発見と同じくらいのインパクトをもつ研究ができるのか?と深く考えさせられた。
そのことはさておくとして、本シンポジウムを通じて何より印象的だったのは、たぶんこの人たちは本当に発生学(というか、発生現象そのもの)が大好きで、いままでずっと楽しみながら研究をしてきたのだろうな、ということがじかに伝わってくる発表が多かったことである。発表のスタイルも多種多様で、手描きのスライドで自身のノーベル賞研究を淡々と紹介し、質問を受けずに悠然と壇を降りたChristiane Nüsslein-Volhard、クロマチンが開いてHox遺伝子の転写が順番に始まるさまを洋服のボタンを外す動作にたとえ、一着のコートだけが映ったスライドで何分間もしゃべり続けたDenis Duboule、初期発生研究のオピニオンリーダーとして、今後の発生学が向かうべき方向性を圧倒的な説得力をもって示したAlexander Schierなど、論文を読むだけではわからない大学者(巨匠)たちの強烈な個性を目の当たりにすることができた。
とはいえ巨匠の芸に酔うばかりでは満足できないのが駆け出し研究者の性で、2日目の夜には、以前から進めてきた「左右軸形成におけるNodalシグナルの作用機序」についての研究に関するフラッシュトークとポスター発表に挑んだ。100枚近いポスターが極めて狭い会場に立ちならぶなか、2時間半にわたって多くの方々に発表を聴いて頂けた。ビールやワインを手に、時間を忘れていろいろな国の研究者たちと議論する、国際学会ならではの雰囲気を存分に楽しむことができたと思う。また、翌朝早くにポスター会場をのぞいたところ、Alexander Schierがわたしのポスターの前で立ち止まっていたので、ひとしきり研究内容を聞いてもらえたのは幸運であった。有名な研究者ほどいろいろなポスターで声がかかって自分のポスターになかなか呼び込めないものだが、彼らに話を聞いてもらうチャンスをつかむためには、発表時間外でも会場に張り込んでおくことが重要と実感した。
こうした極めて充実したプログラムの合間に、Spemannゆかりの地や博物館をめぐるツアーや、現地で知り合った若手研究者たちと居酒屋を訪れたり、招待講演者として参加されていた浅島先生、上野先生、武田先生のお三方を囲んで飲み会が開かれたりといろいろなお楽しみもあった(図2)。また、閉会後に武田先生とともにCentre for Organismal Studies (COS) Heidelbergを訪れ、メダカ胚発生の研究で著名なJochen Wittbrodtの研究室でセミナーをさせて頂けたのも貴重な経験であった。
最後に、本シンポジウムへの参加には、学会からのTravel award grantに加えて岡田節人基金からのご支援を頂いた。歴史的円安に研究費不足と、なにかにつけて悩みの多い浮き世をしばらく離れて天国に遊ぶことができたのは、ひとえに故岡田節人博士と日本発生生物学会の関係者の皆様のおかげと深く感謝申し上げる。
“This is the embryology heaven.” Eddy de Robertisが閉会のあいさつで述べた一言が、帰国してしばらく経った今でも耳に響く。たしかに、このシンポジウムは発生学者にとっての楽園そのものだった。
今回私が参加したのは、2024年9月16日から19日の4日間にわたってドイツ・フライブルクで開かれたFreiburg Spemann-Mangold Centennial Symposium。2024年はフライブルク大学のHans SpemannとHilde MangoldによるSpemann-Mangoldオーガナイザーの発見から100周年という記念すべき年であり、それを祝うための特別シンポジウムである。学部生時代の実習で平良眞規先生のご指導を得てアフリカツメガエル胚を用いたオーガナイザー移植を体験し、発生学にはまるきっかけをもった私としては一も二もなくという感じで参加を申し込んだ。最近では発生学への入り口がオーガナイザーという方は少数派かもしれないが、苦労して精密な手作業を習得し、刻々と変わってゆくオーガナイザーの活性(そのせいで美しい二次軸を誘導するのはなかなかむずかしい)を目の当たりにしたことは、いまなお鮮やかな記憶として脳裏に刻まれている。
日本から14時間のフライトでフランクフルトに降り立ち、そこからさらに2時間半の特急に乗ってたどりついたフライブルクは、ドイツ南西に広がる黒い森(シュヴァルツヴァルト)のそばに位置する大学都市である。市街地の規模は小さく、街はずれのシュロスベルク(フライブルク城跡)にのぼると全体が見渡せてしまう(図1)。旧市街の中心には16世紀に完成したフライブルク大聖堂がそびえ、その周りには果物や野菜を売る露店が並ぶのどかさである。今回のシンポジウム会場となったフライブルク大学の大講堂は、ちょうどSpemannが当地に赴任した頃に建設されたといい、たしかな風格を感じさせる建物であった。
シンポジウムの形式は、世界中から招かれた40人のPIが30分ずつ自由に話すというもので、オーガナイザー因子探索と変異体スクリーニングの華やかなりし1990年代から活躍してきた研究者たちが一堂に会し、思い出話をまじえつつオーガナイザーの研究史から現在進行中の研究、さらには今後の発生学が向かうべき方向性にいたるまで多種多様な話題を提供するという豪華なシンポジウムであった。普段の学会でいうPlenary lectureを一度にまとめて40回聞いた感覚である。未発表データも多く含まれていたので個々の内容に踏み込んで書けないのが残念であるが、オーガナイザーの研究史に関する発表内容はCells & Developmentの特集号(Spemann and Mangold centennial special issue. Part I: historical perspective)として公表されているので、関心のある方には一読をお勧めしたい。特に興味深かったのはSpemannがどのようにしてオーガナイザーという概念を着想したかについてのThomas Holsteinの考察で、どうやらSpemannは、ヒドラにおいて類似の実験がEthel Browneにより行われていたことを知っていたという(Holstein, Cells Dev., 2024)。オーガナイザーはMangoldの神技的な移植実験に基づいてSpemannが忽然と持ち出してきた概念であるかのような印象を持っていたが、彼らといえども巨人の肩の上に立って考えていたことを少しの安堵をもって聞いた。
そのほか、いろいろな人が繰り返し語っていたのが、どれだけ多くの概念が原口背唇部の移植というシンプルな実験から着想され(誘導、神経発生、自己組織化…)、それがどれだけ発生のメカニズム解明につながったか、ということで、確かにこれはいくら強調しても強調しすぎることはない点だろう。彼らの時代、発生学研究に用いることができる手法は観察と移植くらいしかなかったわけだが、それに対して現代はあまりにも多くの実験が可能である。今回のシンポジウムでも、細胞移植や胚操作といった古典的手法に誇りをもってこだわる人がいる一方で、オミクス的手法を全面的に採用し、物量作戦で突き進んでいる人も多かった。この100年の間に実験手法の選択肢は大きく広がったが、さて、それらをどのように使えば、移植という一つの手法だけで達成されたオーガナイザーの発見と同じくらいのインパクトをもつ研究ができるのか?と深く考えさせられた。
そのことはさておくとして、本シンポジウムを通じて何より印象的だったのは、たぶんこの人たちは本当に発生学(というか、発生現象そのもの)が大好きで、いままでずっと楽しみながら研究をしてきたのだろうな、ということがじかに伝わってくる発表が多かったことである。発表のスタイルも多種多様で、手描きのスライドで自身のノーベル賞研究を淡々と紹介し、質問を受けずに悠然と壇を降りたChristiane Nüsslein-Volhard、クロマチンが開いてHox遺伝子の転写が順番に始まるさまを洋服のボタンを外す動作にたとえ、一着のコートだけが映ったスライドで何分間もしゃべり続けたDenis Duboule、初期発生研究のオピニオンリーダーとして、今後の発生学が向かうべき方向性を圧倒的な説得力をもって示したAlexander Schierなど、論文を読むだけではわからない大学者(巨匠)たちの強烈な個性を目の当たりにすることができた。
とはいえ巨匠の芸に酔うばかりでは満足できないのが駆け出し研究者の性で、2日目の夜には、以前から進めてきた「左右軸形成におけるNodalシグナルの作用機序」についての研究に関するフラッシュトークとポスター発表に挑んだ。100枚近いポスターが極めて狭い会場に立ちならぶなか、2時間半にわたって多くの方々に発表を聴いて頂けた。ビールやワインを手に、時間を忘れていろいろな国の研究者たちと議論する、国際学会ならではの雰囲気を存分に楽しむことができたと思う。また、翌朝早くにポスター会場をのぞいたところ、Alexander Schierがわたしのポスターの前で立ち止まっていたので、ひとしきり研究内容を聞いてもらえたのは幸運であった。有名な研究者ほどいろいろなポスターで声がかかって自分のポスターになかなか呼び込めないものだが、彼らに話を聞いてもらうチャンスをつかむためには、発表時間外でも会場に張り込んでおくことが重要と実感した。
こうした極めて充実したプログラムの合間に、Spemannゆかりの地や博物館をめぐるツアーや、現地で知り合った若手研究者たちと居酒屋を訪れたり、招待講演者として参加されていた浅島先生、上野先生、武田先生のお三方を囲んで飲み会が開かれたりといろいろなお楽しみもあった(図2)。また、閉会後に武田先生とともにCentre for Organismal Studies (COS) Heidelbergを訪れ、メダカ胚発生の研究で著名なJochen Wittbrodtの研究室でセミナーをさせて頂けたのも貴重な経験であった。
最後に、本シンポジウムへの参加には、学会からのTravel award grantに加えて岡田節人基金からのご支援を頂いた。歴史的円安に研究費不足と、なにかにつけて悩みの多い浮き世をしばらく離れて天国に遊ぶことができたのは、ひとえに故岡田節人博士と日本発生生物学会の関係者の皆様のおかげと深く感謝申し上げる。
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図1:シュロスベルクから望むフライブルク市街。中央右に立つ尖塔がフライブルク大聖堂。
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図2:フライブルク大学博物館でSpemannとMangoldの特別展を見学。
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