2022.02.15
海外便り№11 川口茜さん(Institute of Molecular Pathology)

川口 茜
ポスドク研究員
Lab of Prof. Elly Tanaka
Institute of Molecular Pathology, Vienna Austria
ORCID: 0000-0001-7722-0480
ポスドク研究員
Lab of Prof. Elly Tanaka
Institute of Molecular Pathology, Vienna Austria
ORCID: 0000-0001-7722-0480
初めまして
オーストリア病理学研究所(Research Institute of Molecular Pathology)のElly Tanaka博士主催の研究室においてポスドク研究員をしております、川口茜です。この度は、阿形清和先生と田中幹子先生にお声がけ頂き、海外だよりを書く機会をいただきました。海外での生活について、形式ばらずに記したいと思います。
私は現在、有尾両生類(アホロートル)の四肢再生をモデルとし、再生で引き起こされるエピゲノム制御に着目して研究を進めています。今となっては日本を出て7年目に突入しましたが、学位取得の当時は、海外ポスドクなんて想像もしていなかったです。その理由は主に2つ。 (1) 文化が全く違う国に住み、さらに第二言語で生活する自信がなかった (2) インターネットやIT技術の普及により、国外の研究者と連絡を取る、共同プロジェクトを遂行することは容易な今の時代、わざわざ海外の研究室に行かなければできないことはないと思っていた、です。(1) については、もともと適応力が高かったこともあり、文化の違いはすぐ慣れました。言葉については、カタコトの英語でなんとか生きています。(2) については、自信の無さから、やらない理由を見つけて外に出る必要がないと言い訳していたと思います。これについては、最後にもう少し書きます。
なりゆきから現在
私は長浜バイオ大学で卒業研究を行い(和田修一先生)、修士課程から奈良先端大学院大学の分子発生生物学講座(高橋淑子教授主宰。現京都大学)に入りました。そこで、荻野肇先生(現広島大学)と越智陽城先生(現山形大学)と出会いXenopusをモデルとした眼発生を制御するエピゲノム因子の機能解析に従事し、2014年に博士号を取得しました。
眼発生の研究プロジェクトとは別に、阿形清和先生が代表をされていた新学術班に荻野先生と越智先生が参加され始めたことが、現在につながる「器官の再生研究」に関わり始めたきっかけです。当時はツメガエルをモデルとして再生研究に関わっていましたが、完全な器官再生能力を可能にするアホロートルのゲノム制御に興味を持ち始めたのもこの頃です。
アホロートルのエピゲノム制御に興味を持った一方で、当時アホロートルのゲノム情報はなく、ゲノム制御のモデルとしては不向きなモデルだなとも思っていました。そんな折、阿形先生からドイツのElly Tanaka先生の研究室には未発表のアホロートルのゲノム情報があるから、エピゲノム制御やるならあそこしかないと教えていただきました。だからといって、海外で生活するなんて考えられず。しばらくは国内でポスドクポジションを探していましたが、どこにもご縁がなく時間だけが過ぎました。そんな時、転機が重なり2014年に理研に来日していたElly Tanaka 先生と直接会うことができました(これについては、腰の重い私を鼓舞してくれた越智先生の助力があったことを記しておきます)。彼女とはその場で、自分の研究の話をし、さらにポスドク先を探しているのだけどポジションがあるかを尋ねたところ、自分でフェローシップを取ってくるならきてもいいとのことでした。さらに時はたち、2015年の11月からTanaka 先生の研究室(当時はドレスデン・ドイツ)に入り、そして2017年の1月には研究室の引っ越しに伴ってドイツからオーストリアに移動しました。
2015年に渡航してから、最初に知った驚きの事実は、当時のTanaka 先生の研究室にはエピゲノム研究で使えるほどのゲノム情報がなかったということです。あら、話が違うよね?とちょっと絶望的な気分になったことを覚えています。ということで、本来の目的のエピゲノム制御の研究課題を遂行するべく、当時は新しかったHi-Cゲノムアッセンブリを用いて、アホロートルゲノムの整備から始めることになりました。アホロートルの32Gbという巨大なゲノムアッセンブリは非常に挑戦的で、結局5年の時間を費やして論文にすることができました(PNAS, 2021, co-first author)。このゲノムアッセンブリに費やした時間は巨大ゲノムに挑戦するスキルを大きく向上させ、43Gbというさらに大きなゲノムを持つ肺魚のゲノムプロジェクト(Nature, 2021, co-author) にも貢献することができました。現在は、四肢再生とエピゲノム制御に関するデータをまとめつつ、より発展した形で生物学にアプローチできる、そしてさらに自分が成長できるような次の展開を模索しているところです。
フェローシップを取って研究環境を良好に保つこと
海外ポスドクを探すとき、自分でフェローシップを取ってくることを条件にするラボは多いです。トップラボにアプライしたいのであれば、なおさらでしょう。ただ、フェローシップの有無は、そこでのポスドクライフを大きく左右しますので、ラボにお金があるないに関わらず出せるフェローシップは全部(日本国内外問わず)出すべきと思います。理由は、1. 自分の資金を持っている最初の1−2年の間に、英語は下手でも研究はできるとアピールする時間を稼ぐこと、さらに2. 資金を獲得する能力のある研究者として評価されることが重要だからです。結果として、自分を取り巻く研究環境を良好に保つことができますし、英語に苦手意識がある大半の日本人には必須です。私の場合、自分で給与を取ってくることが前提でしたので、渡航前に海外学振を含む3つの留学助成に応募し、結果として渡航当初の2015-2017年は2つの留学助成、それらが終わった後少しして2018年に海外学振に採択されました。Tanaka 先生のグラントから給与を出してもらう時期と自分の獲得資金で賄う時期を行ったり来たりしながら今に至ります。
日本であれば、財団が提供している留学助成や(海外特別研究員(海外学振))は知られていますが、日本国外に存在するフェローシップについては情報が希薄だったりします。どういったフェローシップが存在するのか、それらを獲得することがどの程度現実的なのかについて、行きたい国で働くポスドクに積極的に連絡を取ってみるといいです。ヨーロッパの場合、HFSPやMarie Curie、EMBOといったフェローシップに応募することができます。ただし、これらは倍率が高く、華やかなCVと強力な推薦書を持った猛者達と戦うことになります。一方で、各国の文部科学省に相当するところや所属する研究所が出しているフェローシップが複数存在し、こういったものが実は狙い目だったりします。
海外ポスドクを探す上で、考慮すべきもう一つのことは、衣食住と社会保障システム等の違いでしょうか。前者については、不安になることがあるかもしれませんが事前に知っておくべき必要はないと思います。どこの国でも生活し始めれば、あとは生き伸びるしかないのでなんとでもなります。後者についてですが、これは国それぞれですので、例えばFacebook 上で運営されているJSPSコミュニティなどに入り込んで、少し知っておくことをお勧めします。オーストリアでの私個人の体験ですが、海外学振を持っていた2年間は学振の給与のうち、48%をオーストリアに納めなければならず、著しく手取り給与が下がりかけました。日本からの留学助成金がスタイペント(いわゆる旅費扱いで、納税の対象にならない)のか、給与として認識されるのかは国によって全く異なり、これはあまり知られていないことだと思います。海外学振は高給取りというイメージがありますが、実は国によるのでご注意を。
さらに加えておくと、日本とのネットワークは切れない様に意識的に努力をした方がいいと感じます。海外でポスドクをしていれば、必然的に海外でのネットワークは増えていくでしょう。しかし、次のキャリアステップを日本で、と考えている場合はなおさら日本との繋がりを意識した方がいいと思います。例えば、今はオンラインで参加できる学会も増えていますし、時間的・金銭的制約を解消するためにも積極的にこれを利用しましょう。これは意識しておかないとあっという間に浦島太郎になってしまいます。これは私の後悔にもとづきます。
オーストリア病理学研究所(Research Institute of Molecular Pathology)のElly Tanaka博士主催の研究室においてポスドク研究員をしております、川口茜です。この度は、阿形清和先生と田中幹子先生にお声がけ頂き、海外だよりを書く機会をいただきました。海外での生活について、形式ばらずに記したいと思います。
私は現在、有尾両生類(アホロートル)の四肢再生をモデルとし、再生で引き起こされるエピゲノム制御に着目して研究を進めています。今となっては日本を出て7年目に突入しましたが、学位取得の当時は、海外ポスドクなんて想像もしていなかったです。その理由は主に2つ。 (1) 文化が全く違う国に住み、さらに第二言語で生活する自信がなかった (2) インターネットやIT技術の普及により、国外の研究者と連絡を取る、共同プロジェクトを遂行することは容易な今の時代、わざわざ海外の研究室に行かなければできないことはないと思っていた、です。(1) については、もともと適応力が高かったこともあり、文化の違いはすぐ慣れました。言葉については、カタコトの英語でなんとか生きています。(2) については、自信の無さから、やらない理由を見つけて外に出る必要がないと言い訳していたと思います。これについては、最後にもう少し書きます。
なりゆきから現在
私は長浜バイオ大学で卒業研究を行い(和田修一先生)、修士課程から奈良先端大学院大学の分子発生生物学講座(高橋淑子教授主宰。現京都大学)に入りました。そこで、荻野肇先生(現広島大学)と越智陽城先生(現山形大学)と出会いXenopusをモデルとした眼発生を制御するエピゲノム因子の機能解析に従事し、2014年に博士号を取得しました。
眼発生の研究プロジェクトとは別に、阿形清和先生が代表をされていた新学術班に荻野先生と越智先生が参加され始めたことが、現在につながる「器官の再生研究」に関わり始めたきっかけです。当時はツメガエルをモデルとして再生研究に関わっていましたが、完全な器官再生能力を可能にするアホロートルのゲノム制御に興味を持ち始めたのもこの頃です。
アホロートルのエピゲノム制御に興味を持った一方で、当時アホロートルのゲノム情報はなく、ゲノム制御のモデルとしては不向きなモデルだなとも思っていました。そんな折、阿形先生からドイツのElly Tanaka先生の研究室には未発表のアホロートルのゲノム情報があるから、エピゲノム制御やるならあそこしかないと教えていただきました。だからといって、海外で生活するなんて考えられず。しばらくは国内でポスドクポジションを探していましたが、どこにもご縁がなく時間だけが過ぎました。そんな時、転機が重なり2014年に理研に来日していたElly Tanaka 先生と直接会うことができました(これについては、腰の重い私を鼓舞してくれた越智先生の助力があったことを記しておきます)。彼女とはその場で、自分の研究の話をし、さらにポスドク先を探しているのだけどポジションがあるかを尋ねたところ、自分でフェローシップを取ってくるならきてもいいとのことでした。さらに時はたち、2015年の11月からTanaka 先生の研究室(当時はドレスデン・ドイツ)に入り、そして2017年の1月には研究室の引っ越しに伴ってドイツからオーストリアに移動しました。
2015年に渡航してから、最初に知った驚きの事実は、当時のTanaka 先生の研究室にはエピゲノム研究で使えるほどのゲノム情報がなかったということです。あら、話が違うよね?とちょっと絶望的な気分になったことを覚えています。ということで、本来の目的のエピゲノム制御の研究課題を遂行するべく、当時は新しかったHi-Cゲノムアッセンブリを用いて、アホロートルゲノムの整備から始めることになりました。アホロートルの32Gbという巨大なゲノムアッセンブリは非常に挑戦的で、結局5年の時間を費やして論文にすることができました(PNAS, 2021, co-first author)。このゲノムアッセンブリに費やした時間は巨大ゲノムに挑戦するスキルを大きく向上させ、43Gbというさらに大きなゲノムを持つ肺魚のゲノムプロジェクト(Nature, 2021, co-author) にも貢献することができました。現在は、四肢再生とエピゲノム制御に関するデータをまとめつつ、より発展した形で生物学にアプローチできる、そしてさらに自分が成長できるような次の展開を模索しているところです。
フェローシップを取って研究環境を良好に保つこと
海外ポスドクを探すとき、自分でフェローシップを取ってくることを条件にするラボは多いです。トップラボにアプライしたいのであれば、なおさらでしょう。ただ、フェローシップの有無は、そこでのポスドクライフを大きく左右しますので、ラボにお金があるないに関わらず出せるフェローシップは全部(日本国内外問わず)出すべきと思います。理由は、1. 自分の資金を持っている最初の1−2年の間に、英語は下手でも研究はできるとアピールする時間を稼ぐこと、さらに2. 資金を獲得する能力のある研究者として評価されることが重要だからです。結果として、自分を取り巻く研究環境を良好に保つことができますし、英語に苦手意識がある大半の日本人には必須です。私の場合、自分で給与を取ってくることが前提でしたので、渡航前に海外学振を含む3つの留学助成に応募し、結果として渡航当初の2015-2017年は2つの留学助成、それらが終わった後少しして2018年に海外学振に採択されました。Tanaka 先生のグラントから給与を出してもらう時期と自分の獲得資金で賄う時期を行ったり来たりしながら今に至ります。
日本であれば、財団が提供している留学助成や(海外特別研究員(海外学振))は知られていますが、日本国外に存在するフェローシップについては情報が希薄だったりします。どういったフェローシップが存在するのか、それらを獲得することがどの程度現実的なのかについて、行きたい国で働くポスドクに積極的に連絡を取ってみるといいです。ヨーロッパの場合、HFSPやMarie Curie、EMBOといったフェローシップに応募することができます。ただし、これらは倍率が高く、華やかなCVと強力な推薦書を持った猛者達と戦うことになります。一方で、各国の文部科学省に相当するところや所属する研究所が出しているフェローシップが複数存在し、こういったものが実は狙い目だったりします。
海外ポスドクを探す上で、考慮すべきもう一つのことは、衣食住と社会保障システム等の違いでしょうか。前者については、不安になることがあるかもしれませんが事前に知っておくべき必要はないと思います。どこの国でも生活し始めれば、あとは生き伸びるしかないのでなんとでもなります。後者についてですが、これは国それぞれですので、例えばFacebook 上で運営されているJSPSコミュニティなどに入り込んで、少し知っておくことをお勧めします。オーストリアでの私個人の体験ですが、海外学振を持っていた2年間は学振の給与のうち、48%をオーストリアに納めなければならず、著しく手取り給与が下がりかけました。日本からの留学助成金がスタイペント(いわゆる旅費扱いで、納税の対象にならない)のか、給与として認識されるのかは国によって全く異なり、これはあまり知られていないことだと思います。海外学振は高給取りというイメージがありますが、実は国によるのでご注意を。
さらに加えておくと、日本とのネットワークは切れない様に意識的に努力をした方がいいと感じます。海外でポスドクをしていれば、必然的に海外でのネットワークは増えていくでしょう。しかし、次のキャリアステップを日本で、と考えている場合はなおさら日本との繋がりを意識した方がいいと思います。例えば、今はオンラインで参加できる学会も増えていますし、時間的・金銭的制約を解消するためにも積極的にこれを利用しましょう。これは意識しておかないとあっという間に浦島太郎になってしまいます。これは私の後悔にもとづきます。

ドイツとオーストリアにおける生活・研究所
2017年から住んでいるウィーン(オーストリア)は、歴史的にハプスブルク家がドイツ・オーストリア・ハンガリーを統制していた拠点都市で、多くの宮殿や教会が立ち並びます。マリーアントワネットが生まれた王宮も存在しますよ。またウィーン楽団で知られるように、ベートーベンやモーツアルトが宮廷音楽家として活躍した場所ですので、音楽が好きな人は楽しめる街です。ドイツ語圏ですが、様々な人種が暮らす国際的な街なので、どこへ行っても英語で生活することができます。治安は非常によく、一人で夜歩いていても危険な目にあうという話は聞いたことがありません。私も、夜中に一人で走ったりすることもありますが危険な経験は一度もないです。夏は短く乾燥しているため、息苦しくなるほどの蒸し暑さを知っている日本人としては、気温で夏を感じることはありません。夜10時でもまだ昼間のように明るい、公園で友達とビールを飲む、そしてドナウ川で人が泳いでいるのを見ることで夏を感じます。冬は厳しく、16時には真っ暗です。ウィーンでの生活には非常に満足していますが、唯一の不満は、オーストリアビールがドイツビールにも日本のビールにも全く劣ることでしょう。
現在勤務するIMPは、Vienna Bio-centerと呼ばれる集合体の一つです。モデルから非モデルまで幅広いモデルを用いて、本当にあらゆる分野の研究室が存在します。トップジャーナルの常連研究室が軒を連ねており、加えてデスクエリアも研究室内もオープンスペースなので分野を超えて研究室間の交流があることがいい刺激になっています。学生もポスドクも、なんだったらPIも研究の上では平等です。学生がPIと対等に議論しあっているのを見ると、立場は関係なく全員が一人の研究者として研究を進めているなと実感しますね。
Tanaka 先生の研究室についてですが、現在31名の巨大な研究室です(ポスドク17、博士課程7、修士課程5、技術補佐2)。これだけ大きなラボですが、ラボメンバーはプライベートでも非常に仲が良く、頻繁に夕食を共にしたりPubにも出かけたりしますよ。おおよそのポスドクは1人につき2つから3つのプロジェクトを掛け持っていますし、もちろん博士課程の学生もそれぞれプロジェクトがあります。特にすごいのは、これだけの人数・プロジェクトがありながらも、全ての研究課題が、再生生物学において根本的に解かれていない「大問」を捉えているところです。また、それを維持する研究資金を獲得し続けていること、多様なプロジェクトを概ね全て把握してマネージメントするTanaka 先生の絶え間ない努力と聡明さです。すごい、の一言に尽きます。素晴らしい同僚に囲まれて充実した研究生活を過ごさせてもらっています。
Tanaka 先生の研究室についてですが、現在31名の巨大な研究室です(ポスドク17、博士課程7、修士課程5、技術補佐2)。これだけ大きなラボですが、ラボメンバーはプライベートでも非常に仲が良く、頻繁に夕食を共にしたりPubにも出かけたりしますよ。おおよそのポスドクは1人につき2つから3つのプロジェクトを掛け持っていますし、もちろん博士課程の学生もそれぞれプロジェクトがあります。特にすごいのは、これだけの人数・プロジェクトがありながらも、全ての研究課題が、再生生物学において根本的に解かれていない「大問」を捉えているところです。また、それを維持する研究資金を獲得し続けていること、多様なプロジェクトを概ね全て把握してマネージメントするTanaka 先生の絶え間ない努力と聡明さです。すごい、の一言に尽きます。素晴らしい同僚に囲まれて充実した研究生活を過ごさせてもらっています。

留学しないと見えないことはきっとあるかも
最後に。冒頭で、海外なんて行かなくても十分だと思っていたと書きました。研究費の大小や機器の違いなど、技術的な側面で日本の研究は規模が小さくなるかもしれませんが、日本人の勤勉さと質の高い技術力・論理的思考力の高さは誇るべきものです。実際には、わざわざ海外の研究室に行かなければできない研究はそこまでないのかもしれません。ただ、ありきたりなコメントですが、やらなかった悔いより、やった後にその先で何かを悔いる方が、多面的な視野で物事を捉える人に成長させてくれる気がします。私自身は、研究キャリア以上に、意味があったと思っていますし、当時の指導教官たちや後押ししてくださった方々、留学を可能にしてくれた財団に心から感謝しています。もし私が日本にずっといたら、留学しなかったことの悔いも感じていなかったかもしれません。だって、見たことがない世界や、知らない経験を後悔することはできないでしょう?だから、ここまで読んでくださった方がいて、その何人かがポスドクや博士課程で海外の可能性で迷っていらっしゃるのであれば、少し前向きに考えるきっかけをお届けできていたら嬉しいです。長々と書きましたが、何かあればご遠慮なく連絡くださればと思います。
最後に。冒頭で、海外なんて行かなくても十分だと思っていたと書きました。研究費の大小や機器の違いなど、技術的な側面で日本の研究は規模が小さくなるかもしれませんが、日本人の勤勉さと質の高い技術力・論理的思考力の高さは誇るべきものです。実際には、わざわざ海外の研究室に行かなければできない研究はそこまでないのかもしれません。ただ、ありきたりなコメントですが、やらなかった悔いより、やった後にその先で何かを悔いる方が、多面的な視野で物事を捉える人に成長させてくれる気がします。私自身は、研究キャリア以上に、意味があったと思っていますし、当時の指導教官たちや後押ししてくださった方々、留学を可能にしてくれた財団に心から感謝しています。もし私が日本にずっといたら、留学しなかったことの悔いも感じていなかったかもしれません。だって、見たことがない世界や、知らない経験を後悔することはできないでしょう?だから、ここまで読んでくださった方がいて、その何人かがポスドクや博士課程で海外の可能性で迷っていらっしゃるのであれば、少し前向きに考えるきっかけをお届けできていたら嬉しいです。長々と書きましたが、何かあればご遠慮なく連絡くださればと思います。

2018年、自然史博物館から見下ろしたクリスマスマーケットです。外はすごく寒いですが、甘ったるいグリューワインを友達と飲むのが楽しみなのです。2020、2021はコロナで中止されました。