2020.03.11

海外便り№4 兼子拓也さん(フレッドハッチ癌研究所)

兼子拓也さん(フレッドハッチ癌研究所)

私は、シアトルにあります「フレッドハッチ癌研究所」というところでポスドクをしています。癌研究所の所属ですが、現在の研究内容は癌とは全く関係なく、小型魚類ゼブラフィッシュを用いて神経回路の発生過程を解析しています。シアトルでのポスドクはようやく2年目に突入したところです。シアトルに来る前は、ミシガン大学の博士課程に6年ほど在籍し、アメリカ研究生活は8年目になります。それ以前は、現JSDB会長である武田洋幸先生の研究室で、学部卒業研究および修論研究を行いました。武田先生の研究室で小型魚類を用いた発生生物学に初めて触れ、そのときの感動が、現在の研究人生の方向性を決めるきっかけとなりました。

私は、日本の修士課程在籍中に、アメリカのPh.D.プログラムに出願することを選択しました。しかし、アメリカ留学を望んだのは、研究者として成長したいというような強い意志があったからではなく、ただ単純に、海外で長く生活をしてみたかったからにすぎません。異国の地に観光以外で訪れ、文化の異なる人々と交流することが幼少期からの憧れでした。幸運にも、自分が選んだ研究者としての道のりにとって、海外で暮らすことは、決して不利に働くことでも、著しく困難なことでも無かったため、学生の気楽な身分のうちに留学経験することを決めました。出願準備のために、半年以上も修論研究を中断することになりましたが、ミシガン大学に行けることが決まり、念願であった海外生活を開始することができました。サポートしていただいた方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

私が所属したミシガン大学のPh.D.プログラムでは、研究室を入学前に決めておくのではなく、1年目に複数の研究室を体験してから、2年目の初めに配属先を選択します。私がミシガン大学を志望した理由の一つは、その選択肢の多さです。生命科学系の研究室が500以上あり、その中から入学後に自由に選べます。それぞれの研究室の研究対象や実績よりも、自分が楽しんで仕事できる配属先を見つけたかったため、より多くの選択肢が与えられているプログラムに入りました。やはり、言葉の壁を抱えて渡米したため、先生やラボメンバーが自分の片言の英語にも耳を傾けてくれるか、そして英語が不自由でも自分を必要としてくれるかを、一番に重視して研究室を選びました。最終的に、Bing Ye先生の研究室に所属して、神経系の発生を研究することに決めました。Bing先生が教育熱心で、とくに密接な指導を受けられることが期待できたのも決め手となりました。

Bing Ye先生の研究室では、ショウジョウバエを用いて、発生過程の神経細胞が、どのように特定の神経細胞と結びつき神経回路を形成していくのかを解析しました。この研究トピックを選んだ理由は、組織の形成を司る細胞間コミュニケーションに以前から興味を持っていたためです。発生生物学的な視点で解析を進めていきましたが、徐々に、神経系で広く用いられる「光遺伝学」や「カルシウムイメージング」といった技術も取り入れていき、最終的に私の博士論文は神経生理学が中心の内容となりました。神経学の知識はありませんでしたが、Bing先生から手厚い指導を受け、毎日のように議論を重ねることで、神経生物学を基礎から楽しく学ぶことができました。先生からは、研究計画の方法や奨学金申請書の書き方、論文査読の仕方なども教わりました。このような指導教員からの直接的な教育は、アメリカの博士課程の大きな特徴であり、この留学体験が自分の成長に繋がったのは間違いありません。

Ph.D.プログラムで6年過ごしましたが、最後まで英語で苦労しました。学生の間は授業が頻繁で、そこでは積極的な発言が求められます。さらに、日本以上にプレゼン能力が重要視されていて、学生としても研究発表の機会が非常に多いです。2年目にはプレリミナリーエグザムと呼ばれる難しい口頭試験があり、これに合格しないと退学になってしまいます。これらの課題を一つずつこなしていくのに必死の学生生活でした。しかし、アメリカで研究を続ければ続けるほどに、言葉の違いを弱点として感じる必要がないことを実感します。面白い研究さえ続けていれば、みな興味を持って発表を聞いてくれます。研究に対するアイディアやアドバイスは、常に尊重して受け止めてもらえます。研究室が10人以下と比較的小さく、そのためミーティングでも発言しやすかったことが幸いし、同僚からも信頼を持って接してもらいました。自分を受け入れてくれる居場所を作れたことで、英語で苦労しながらも、日々楽しいと思える充実した博士課程となりました。何よりも、留学を通じてでしか出会えない人とミシガンで交流できたことが、私の人生にとって貴重な財産です。言葉の壁を抱えながらポスドクとしてアメリカに残ることを選択したのも、この博士課程の素晴らしい留学体験が主な理由です。

ポスドク先として決めたのは、シアトル・フレッドハッチ癌研究所のCecilia Moens先生の研究室です。この研究室で私は、小型魚類ゼブラフィッシュを実験対象として用いて、迷走神経が構成する反射回路の形成機構を解析することにしました。迷走神経は、脳から伸びて、咽頭部や心臓といった様々な器官に投射しており、咳や嘔吐、心拍数調整などの、機能の異なる多くの反射反応を司っています。迷走神経を構成する多種多様な神経の一つ一つが、どのように発生過程の脳内で識別され、それぞれに異なる反射回路に組み込まれていくのか。この疑問について、私がこれまでに学んだ「発生遺伝学」と「神経生理学」を組み合わせて取り組んでいます。このプロジェクトは自分の発案で始めたので、自由気ままに仕事させてもらっています。今は学生のとき以上に研究に専念できるため、これまでの研究人生の中で一番楽しいです。

ポスドク先選びは選択肢が多すぎてとても迷いました。世界中、どこへでも行きたいところに行けるのがポスドクの特権です。この特権を活かさないのは勿体無いと思い、一年ほど時間をかけてじっくり選びました。最終的にシアトルを選んだのは、西海岸の観光地に数年ほど住んでみたかったという理由も大きいです。しかし、ポスドク先選びで最も重視したのは、発言のしやすい比較的小さな研究室であること、そして、独立したプロジェクトを新規に立ち上げさせてくれる可能性の高い研究室であること、この二点です。過去にポスドクとして在籍していた人が、独立後も互いに競合することなく、それぞれ異なる研究を展開できているのかを基準にして候補を並べていきました。その中でもとくに、自分が修士課程や博士課程で学んだ経験を活かせる場所としてCecilia Moens先生の研究室を選びました。この研究室に所属してまだ一年あまりですが、自分にとって最適な場所であったと実感しています。Cecilia先生からサポートを受けながら、自由に自分のプロジェクトを展開することができ、独立してからのための良い修行になっています。また、現在は5人ほどの小さな研究室であるため、大きい研究室にありがちなポスドク同士の競争からも無縁で、お互いに助け合う居心地の良い研究生活をおくれています。何よりも、研究室内でチームの一員として認めてもらえていることが、私にとって一番幸せなことです。

海外で生活してみたいという願いだけでアメリカに来ましたが、憧れであった場所に自分の活躍できる場所を作れたことが、留学の最大の意義であったと思います。私の研究に興味を持ってくれる人、サポートしてくれる人が身近にいることが、現在この場所で研究を続ける理由であり、より多くの人に面白いと思ってもらえる仕事を生むことが今後の目標です。ポスドク後もアメリカに残り続けるかはわかりません。ただ、この地で研究を通じて、世界中から集まった文化の異なる人々との交流を重ねることが、今の私にとって一番の喜びであり、それは研究者としての成功を目指すこと以上に価値のあることに感じています。